2018年09月18日

”悟り”って・・・ その5

 ”悟り”を考えてみるもののまとまりの方向は一向にない。当然のことで、私の中に迷いが充満しているわけで、それこそ悟りなんことが無理とわかっている。
 それでも、なんとか少しでも悟りに近いものを思えないかという欲求もあるのだが、今度はその欲求自体が”煩悩”なんて言われてしまいそうで、堂々巡りになかに入る。輪廻ですね。

 ”輪廻” まぁ同じところをぐるぐる廻るということなんでしょう。これは”鬱”になっていく原因の一つでもありそうで。私はそれに気づいて、落ち始めると無理やり止めることにしてはいけど、今回はぐるぐる廻っても、落ち込みはしないだろうと続けている。

 仏教の”悟り”の話から”輪廻”を考えるとどうしても”仏教の根本”を意識しなくてはならないのでどうしようか迷うところ。経典を読むなんてことは今更無理だし、読んでもおそらくちんぷんかんぷんで、それに勝手な解釈をしたら、またご指摘を受けることにもなるだろうし。。。
 とはいえ、”悟り”言うことだ自体が仏教用語だから、避けて通ることはできないようだなぁ。。
 
 英語でなんていうかネット検索したら、訳語にすると”目覚める”っていうのが一番多かったかな。まぁ”目覚める””知る”っていう解釈をしているようだ。それで十分じゃぁないかとお思う。
 では、もう一つ突っ込んで”目覚める”って、何に”目覚める”のだ?
 
 ここまで来ると、人の数だけ言うことが違ったりしないか?寝て起きて”目覚める”ということなら万人同じだろうけど、物事、事象、状態、心などに目覚めるとなると、それを体現している人それぞれの、そのそれぞれの生きてきた過去の経験やら、教育やらにかなり左右されるから、その組み合わせとなると、完全に一致するのはないといっても過言ではないだろう。
 
 で、その”目覚め”なるものをいかに悟りに結びつかるか。もう哲学に話で、凡人の私には無理だと思うけど、やりかかったんで無理やり続ける。

 凡人にとっては、何に目覚めてもいいんではないか?とにかく何かに目覚めて、なにかに気づいて、それが生きていく糧になったり、生きている糧になったりするだけでいいように思う。
 何も釈迦、ブッダ、釈尊、のような悟りを求める必要もないように思う。そりゃ輪廻転生からの解脱を目指す悟りを開きたいという向きには、それなりの考えがいるんかもしれんけど、それが理解できないからってねぇ。。。。。

 どうもまた”他力”の考えが頭に出てきた。染み付いた他力は抜けられないんだなぁ。これから解脱せんといかんのかも。でも、浄土三部経の和訳を読んで、はまり込んでしまったからなぁ。

 まぁ、今の私は”輪廻転生からの解脱”は、阿弥陀さんにおまかせすることにします。

 かなり支離滅裂だな、今回も。これが私という証明でもあるんだけどねぇ。

 今度は、ちょいと話しの向きを変えて、親鸞の”夢記”を考えてみるかも。

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