2019年03月11日

あれから8年 私は・・・

今日は3月11日
あの東日本大震災のあった日
毎年同じことを思い出す

あの日は実家に行っていた
 帰りの地下鉄の中で
 地下鉄が停まった
  なにかがあったことはわかったが
  それが大震災だとは分からなかった
 地下鉄は安全確認後にそのまま
  何もなかったように動き出した
当時は名古屋の地下鉄
 桜通り線はまだ野並が終点だった
 バス停でバスを待った
  何の変化もなく、いつものように
家に帰って
 テレビを付けた
 画面に映りだされたのは
  大津波の実況だった
 広い海に横一線の白い波が
  海岸向かって押し寄せていた
画面が変わって
 地上の様子を
 車で逃げている人がいる
アナウンサーの声で
 津波は仙台に向かっていると
 その時
  仙台が水浸しになる
  と思った

しばらくしたら
 地上の惨劇の様子に変わった
 家が流されている
  車が流されている
 黒い水が田畑の上に広がっていく

まるで
 映画のシーンを見ているようだった
 あの”地球最後の日”のように

そして
 時間が経って
  とんでもない被害になっていることが
  ほうどうでしらされていた

地震の揺れ、規模の大きさの報道があって
 その時思ったことは
  原発が壊れたと
 安全性に問題ないと
  当時の報道は伝えていた
  それはないだろう
 あれだけの揺れなら
  コンクリートの箱でも壊れるだろう
  それが壊れたら中まで壊れるだろう


それが日本の地上で起きていたこと

数日後
 私の思ったように
 福島の原発は爆発した


その3月11日には
 私の体の中に
 揺れもなにもないのに
  大津波が襲っていたのだ
 予感はあったような、なかったような

それから数日後
 激震
 ひと月後 
  末期の前立腺がんを宣告された

多くの人は
 東日本大震災の記憶が残っているだろう
私は
 それに加えて
  末期がん宣告の記憶が蘇ってくる

あれから8年を経過した
 大震災の被災者は
 今も復旧できないでいる人もいるとか
私の体は復旧できない
 爆発しないように
 抑えているだけ
  いつ爆発するかはわからない
 今の状態を
  石は「奇跡的」と表現している
 末期がんで
  同じホルモン療法だけで
  8年も安定しているのは
  奇跡だということらしい


地震は
 いずれ我が身のこと
 東海地方に済む今は
  いつ東南海大地震が来るかもしれない
  その時は大津波が来るかもしれない
 気持ちだけは準備しておかねば

私も
 がんの再発にたいして
 心の準備だけはしているつもりだが


どっちも
 来ないことを祈るばかりだ

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