2019年09月26日
9月26日 木曜日 晴れ 60年目の朝
今朝は最近の習慣になった
5時おき
新聞入れて、メダカに餌やって、朝飯
ここ数日はこの後
薬を飲んでもう一度寝るのだが
今日は寝ないで起きていようと
朝飯食べながら「ミーユエ」を見て
その後新聞を全部目を通して
ちょいと眠いけど、我慢我慢
今日は9月26日
60年経っても忘れることのできない
伊勢湾台風が襲来した日
土曜日の晩だったかな
夕方暗くなってから
父親と雨戸が飛ばないようにと
家の外で仕事をしていた
突然の強風で冠っていた帽子が飛ばされたが
普通の風なら帽子は転がっていくのだが
その時は防止はコンクリートの地面に叩きつけられた
この時南の空では
風が巻くときの稲光があちこちで光っていた
それから数時間後
とんでもない強風がやってきた
家が揺れた
そして停電
外で電線が唸っていた
私は現在76歳
これだけ生きてきた中で
最大の台風だった
真っ暗な中で
揺れる家で台風の通り過ぎることを祈る
あの恐怖は忘れることはできない
台風が過ぎ去った翌朝
ご近所が揃って外に出て
恐怖を語り合っていたが
何故か目の前が明るすぎる
確かに台風一過の晴天
太陽が眩しかったような記憶だが
目の前がひらけていたのだ
中川運河沿いの倉庫群が
完全に潰れていたのだ
そのせいで視界がひらけ
いつもとは違った風景になっていた
我が家が潰れなくてよかったとホッとしたのだが
私の恐怖は大したことはなかったと
数日経って理解した
伊勢湾台風の翌日は日曜日
停電でラジオも聞けず
当然テレビも見ることはできない
全く情報が入ってこないのだ
水道とガスは止まっていなかったと思う
炊事はなんとかできたのだが
夜はろうそくの光の下で食べたときおく
月曜日学校に行った
私は当時高校1年
2期制の学校で期末試験中だった
当然のごとく試験をするために登校
しかし
学校について唖然
学友が投稿していないのだ
かなりの学友が登校していない
試験は中止になり
期末試験の再開は未定となった
投稿して知ったことは
とにかくとんでもない被害が名古屋市内で出ていること
名古屋だけではなさそうらしいが
生徒会室にいって
先輩たちと何かしなければと話し合い
名古屋市役所に向かった
なにか手伝うことはないかと
市役所はてんやわんやで追い返されたが
隣の愛知県庁にいったら
自衛隊が運ぶ支援物資を下ろす手伝いをしてくれとのこと
現在の名城公園辺りだったか
なにもない広場に行き
自衛隊のヘリコプターが運んでくる毛布を
下ろす手伝いなどをした
そんな話を聞きつけた毎日新聞の記者とカメラマンがやってきて
ヘリが帰っていった跡だったが
私達に毛布を運ぶ様子をやってくれと頼まれて
なんだか変な気持ちでやったことを覚えている
伊勢湾台風では
名古屋市は南区が大打撃を受けなかりな死者、行方不明が出た
学友では未だに見つかっていない人もいるのだ
高潮に流されたままになっているのだと聞く
記憶を書けばものすごく長くなる
日記の一部としてはこのくらいで止めておこう
5時おき
新聞入れて、メダカに餌やって、朝飯
ここ数日はこの後
薬を飲んでもう一度寝るのだが
今日は寝ないで起きていようと
朝飯食べながら「ミーユエ」を見て
その後新聞を全部目を通して
ちょいと眠いけど、我慢我慢
今日は9月26日
60年経っても忘れることのできない
伊勢湾台風が襲来した日
土曜日の晩だったかな
夕方暗くなってから
父親と雨戸が飛ばないようにと
家の外で仕事をしていた
突然の強風で冠っていた帽子が飛ばされたが
普通の風なら帽子は転がっていくのだが
その時は防止はコンクリートの地面に叩きつけられた
この時南の空では
風が巻くときの稲光があちこちで光っていた
それから数時間後
とんでもない強風がやってきた
家が揺れた
そして停電
外で電線が唸っていた
私は現在76歳
これだけ生きてきた中で
最大の台風だった
真っ暗な中で
揺れる家で台風の通り過ぎることを祈る
あの恐怖は忘れることはできない
台風が過ぎ去った翌朝
ご近所が揃って外に出て
恐怖を語り合っていたが
何故か目の前が明るすぎる
確かに台風一過の晴天
太陽が眩しかったような記憶だが
目の前がひらけていたのだ
中川運河沿いの倉庫群が
完全に潰れていたのだ
そのせいで視界がひらけ
いつもとは違った風景になっていた
我が家が潰れなくてよかったとホッとしたのだが
私の恐怖は大したことはなかったと
数日経って理解した
伊勢湾台風の翌日は日曜日
停電でラジオも聞けず
当然テレビも見ることはできない
全く情報が入ってこないのだ
水道とガスは止まっていなかったと思う
炊事はなんとかできたのだが
夜はろうそくの光の下で食べたときおく
月曜日学校に行った
私は当時高校1年
2期制の学校で期末試験中だった
当然のごとく試験をするために登校
しかし
学校について唖然
学友が投稿していないのだ
かなりの学友が登校していない
試験は中止になり
期末試験の再開は未定となった
投稿して知ったことは
とにかくとんでもない被害が名古屋市内で出ていること
名古屋だけではなさそうらしいが
生徒会室にいって
先輩たちと何かしなければと話し合い
名古屋市役所に向かった
なにか手伝うことはないかと
市役所はてんやわんやで追い返されたが
隣の愛知県庁にいったら
自衛隊が運ぶ支援物資を下ろす手伝いをしてくれとのこと
現在の名城公園辺りだったか
なにもない広場に行き
自衛隊のヘリコプターが運んでくる毛布を
下ろす手伝いなどをした
そんな話を聞きつけた毎日新聞の記者とカメラマンがやってきて
ヘリが帰っていった跡だったが
私達に毛布を運ぶ様子をやってくれと頼まれて
なんだか変な気持ちでやったことを覚えている
伊勢湾台風では
名古屋市は南区が大打撃を受けなかりな死者、行方不明が出た
学友では未だに見つかっていない人もいるのだ
高潮に流されたままになっているのだと聞く
記憶を書けばものすごく長くなる
日記の一部としてはこのくらいで止めておこう