2007年10月22日
京都を歩く 07年10月 1
今年は、京都へくるのは2回目だ。
3月の末に、小学校入学直前の孫を連れて日野へ出かけた。
雨模様だったが、何とか濡れずに歩いた。
それから7ヶ月。季節は大きく変わった。
今回は一人旅、それに宿泊するとはいえ、翌日は本業の講師を務めるので、つかれきるようなことはできない。
とはいうものの、来た限りは、出来る限り見たいものを見ておきたい。
そこで、久しぶりに京都の中心街と紅葉のシーズン前の『哲学の道』を歩くことにした。
修身街は、本当に久しぶりだが、「六角堂通り」を川原町から西進して『烏丸通』まで逝き、折り返しは三条通りをまた川原マニに戻るコースだ、。
三条通りは、観光客も結構通るが、「六角通り」はそんなに人は歩かないものだ。
六角堂通りを歩く目的は、参拝を目的とする『頂法寺=六角』があるからだ。この寺は、池坊のお花をする人なら知らないとは寺を書くことになる寺。日本のいけばなの発祥の地といわれる寺で、管理は『池坊』さんがしているはず。(もう10年近く前になるのか、初めて訪れたときはそんなことは知らなかったが)
私は、いけばなをするなんてお琴はないので、目的は別。はじめてから10年くらいになる「親鸞研究」の一部である。というのは、親鸞のことをご存知の方ならばご存知、親鸞がここで「女犯偈無告」を受けたところといわれている。
ということで、私がここを訪れるのは、親鸞の『女犯偈無告』のイメージをつかむためというのが表向き。といっても、裏はないなぁ・・・
六角堂からの帰りは、六角堂通りの1本北にある「三条通り』を東に行くのだが、これの目的は、親鸞がこの世から阿弥陀の元に旅立つ出発の地といわれているいくつかの候補の一つ『三条富小路』付近のイメージを頭に叩き込むためである。
ということで、宿泊地の河原町五条を出発します。
これから、何回かに分けて、河原町~六角堂の往復と、銀閣寺道から哲学の道を通り、黒谷(金戒光明寺、真如堂のある山)下までの散策の模様を書いていきます。(ただし、毎日にではありません。)
六角堂 = 頂法寺
参照HP http://www.saikoku33.gr.jp/dai18/index.html
足 京都駅から地下鉄烏丸線 烏丸御池 下車 烏丸通りを南に六角堂通りを東入る
(京都駅から烏丸線を北上御池通りまで行くバスはありません)
3月の末に、小学校入学直前の孫を連れて日野へ出かけた。
雨模様だったが、何とか濡れずに歩いた。
それから7ヶ月。季節は大きく変わった。
今回は一人旅、それに宿泊するとはいえ、翌日は本業の講師を務めるので、つかれきるようなことはできない。
とはいうものの、来た限りは、出来る限り見たいものを見ておきたい。
そこで、久しぶりに京都の中心街と紅葉のシーズン前の『哲学の道』を歩くことにした。
修身街は、本当に久しぶりだが、「六角堂通り」を川原町から西進して『烏丸通』まで逝き、折り返しは三条通りをまた川原マニに戻るコースだ、。
三条通りは、観光客も結構通るが、「六角通り」はそんなに人は歩かないものだ。
六角堂通りを歩く目的は、参拝を目的とする『頂法寺=六角』があるからだ。この寺は、池坊のお花をする人なら知らないとは寺を書くことになる寺。日本のいけばなの発祥の地といわれる寺で、管理は『池坊』さんがしているはず。(もう10年近く前になるのか、初めて訪れたときはそんなことは知らなかったが)
私は、いけばなをするなんてお琴はないので、目的は別。はじめてから10年くらいになる「親鸞研究」の一部である。というのは、親鸞のことをご存知の方ならばご存知、親鸞がここで「女犯偈無告」を受けたところといわれている。
ということで、私がここを訪れるのは、親鸞の『女犯偈無告』のイメージをつかむためというのが表向き。といっても、裏はないなぁ・・・
六角堂からの帰りは、六角堂通りの1本北にある「三条通り』を東に行くのだが、これの目的は、親鸞がこの世から阿弥陀の元に旅立つ出発の地といわれているいくつかの候補の一つ『三条富小路』付近のイメージを頭に叩き込むためである。
ということで、宿泊地の河原町五条を出発します。
これから、何回かに分けて、河原町~六角堂の往復と、銀閣寺道から哲学の道を通り、黒谷(金戒光明寺、真如堂のある山)下までの散策の模様を書いていきます。(ただし、毎日にではありません。)
六角堂 = 頂法寺
参照HP http://www.saikoku33.gr.jp/dai18/index.html
足 京都駅から地下鉄烏丸線 烏丸御池 下車 烏丸通りを南に六角堂通りを東入る
(京都駅から烏丸線を北上御池通りまで行くバスはありません)