2007年10月29日
京都を歩く 三条通り 07年10月
頂法寺=六角堂でかわいいお地蔵さんやら親鸞のこわもての銅像の写真を取った。正面の門から六角堂通りに出て、もときた道で東に向かい、すぐに出会う東洞院通りの交差点を左折し、三条通りに向かって上がる。
(京都では、きたにむかうことを「あがる」というが、この理由は、京都の地形が、北に行くほど高くなり、現実に上がっているから。なんでも南北の標高差は、東寺の五重塔の高さくらいあるとか.)
三条・東洞院の交差点で写真を撮る。
右の写真は、中京郵便局である。(「なかぎょう」と読んでください。間違っても『ちゅうきょう』とはいわないように。)
京都の『条』のつく通りで、平安京のときのままといわれる通りは少なく、この三条通りはその少ないうちの一つだそうだ。(なぜそうなったかは、豊臣秀吉の京都都市計画によるものらしい。)
そういった閉経の上に、京都は太平洋戦争での空襲を免れたことで、古き建物が結構残されている。上の写真の郵便局の東には、「京都文化博物館」があるが、これも残されているものの一つだ。
まあ、このように残されているとはいえ、平安のものではなく、平安からは遠い、現在に近い明治の頃のものなのだろうか。
地図はこちら
(京都では、きたにむかうことを「あがる」というが、この理由は、京都の地形が、北に行くほど高くなり、現実に上がっているから。なんでも南北の標高差は、東寺の五重塔の高さくらいあるとか.)
三条・東洞院の交差点で写真を撮る。
右の写真は、中京郵便局である。(「なかぎょう」と読んでください。間違っても『ちゅうきょう』とはいわないように。)
京都の『条』のつく通りで、平安京のときのままといわれる通りは少なく、この三条通りはその少ないうちの一つだそうだ。(なぜそうなったかは、豊臣秀吉の京都都市計画によるものらしい。)
そういった閉経の上に、京都は太平洋戦争での空襲を免れたことで、古き建物が結構残されている。上の写真の郵便局の東には、「京都文化博物館」があるが、これも残されているものの一つだ。
まあ、このように残されているとはいえ、平安のものではなく、平安からは遠い、現在に近い明治の頃のものなのだろうか。
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