2007年11月07日
京都を歩く 鹿ケ谷通りに
哲学の道の紅葉のスポットから南へ行くと。若王子神社、栄冠堂、何千時と辿ることになるが、この日はそのコースを撮ることは予定していない。ここから山を下り、丸太町通りへ出て、バスに乗るつもりなのだ。
紅葉スポットの脇に階段がある。この階段を下りるのは初めてだ。位置としてはほぼ丸太町の東にあるという検討なので、この階段を下りることにした。
階段を折り始めて気づいたのだが、その下には大きな屋敷の庭がある。かなり手入れも行き届き見事な庭である。一人の情勢が水でもまいておられる野か、何かされている様子だ。
階段を下りきり、屋敷の横の通りを西に向かって歩く。非常に静かな住宅地である。道が細いことを除けば、なににも言うことはない。
この道は、突き当たる。左右どちらに行けばと迷った。丸太町と折は少し北だから右になるが、不案内な道、本当に迷ったが、右にとって見た。なんと袋小路だった。そのお蔭で、面白いオタクを見ることになった。(写真は、家の仲間で移るので遠慮して撮らなかった。)
逆に戻り、寺の前でまた西に向かう。本当に静かな高級住宅地である。
この辺り『鹿ケ谷』ということなのか? 歴史的に平安時代には和田になる土地である。藩へ池の一等がこの知覚で、酒を酌み交わして、酒の銚子(へいし)を倒して『へいし(=平氏)が倒れた』などと愚痴っていたという所である。つまりは、昔らそういったお金持ちの集まるところだったのかもしれない。
西に向かう道を突っ切ると鹿ケ谷通りに出る。この通りは、銀閣寺下の疎水からまっすぐ永観堂のほうにいっているみちだが、この次期車の通行は非常に少ない。
交差点を左折して、坂を下っていく。この道が丸太町と下りの延長の道だ。
下っていく途中で、なんと足がつってしまった。歩き始めて約2時間半、休むことなくあり着続けた疲れ、日ごろ歩かない足の弱さの報いである。何とか我慢して白川通りと丸太町通りのの交差点、天王町間で下りてきた。この交差点の西南にあるバス停から市バスに乗って宿の河原町五条に戻った。
**この交差点、天応町の西北の山が『黒谷』金戒光明寺、真如堂のある山で紅葉のスポットです。**
これで、今回の今日を歩くは、終わりです。
もっと書くべきこともあるのですが、それはいずれまたということで・・・・
紅葉スポットの脇に階段がある。この階段を下りるのは初めてだ。位置としてはほぼ丸太町の東にあるという検討なので、この階段を下りることにした。
階段を折り始めて気づいたのだが、その下には大きな屋敷の庭がある。かなり手入れも行き届き見事な庭である。一人の情勢が水でもまいておられる野か、何かされている様子だ。
階段を下りきり、屋敷の横の通りを西に向かって歩く。非常に静かな住宅地である。道が細いことを除けば、なににも言うことはない。
この道は、突き当たる。左右どちらに行けばと迷った。丸太町と折は少し北だから右になるが、不案内な道、本当に迷ったが、右にとって見た。なんと袋小路だった。そのお蔭で、面白いオタクを見ることになった。(写真は、家の仲間で移るので遠慮して撮らなかった。)
逆に戻り、寺の前でまた西に向かう。本当に静かな高級住宅地である。
この辺り『鹿ケ谷』ということなのか? 歴史的に平安時代には和田になる土地である。藩へ池の一等がこの知覚で、酒を酌み交わして、酒の銚子(へいし)を倒して『へいし(=平氏)が倒れた』などと愚痴っていたという所である。つまりは、昔らそういったお金持ちの集まるところだったのかもしれない。
西に向かう道を突っ切ると鹿ケ谷通りに出る。この通りは、銀閣寺下の疎水からまっすぐ永観堂のほうにいっているみちだが、この次期車の通行は非常に少ない。
交差点を左折して、坂を下っていく。この道が丸太町と下りの延長の道だ。
下っていく途中で、なんと足がつってしまった。歩き始めて約2時間半、休むことなくあり着続けた疲れ、日ごろ歩かない足の弱さの報いである。何とか我慢して白川通りと丸太町通りのの交差点、天王町間で下りてきた。この交差点の西南にあるバス停から市バスに乗って宿の河原町五条に戻った。
**この交差点、天応町の西北の山が『黒谷』金戒光明寺、真如堂のある山で紅葉のスポットです。**
これで、今回の今日を歩くは、終わりです。
もっと書くべきこともあるのですが、それはいずれまたということで・・・・