2023年09月06日

円空とキリスト教

昨日の朝刊だったか
「円空と伊勢・円空時」なる出版物の
広告が出ていた

その広告の中に文章に
「切支丹との共生を目指していた」
という記述がある

かなり昔だけど
何かの記述で
円空とキリスト教の取り合わせを
読んだ記憶がある
しかし
円空がキリスト教の信者
江戸時代の人なので切支丹と
呼ばれる立場言いたのか?

広告の文中から行けば
そんなことが思い浮かぶことになる

私は
円空がある程度マリア信仰などの影響を受けていた
かもしれないという考えは持っている
というのも
ある年に某大学の公開講座での
出張授業で名古屋市中区橘の永国寺に行った
この寺は浄土宗だが
江戸時代の切支丹処刑に関して有名な寺である
記憶が遠くなっているけれど
ここで1体の円空仏を見ている

この寺には
キリシタンに関するものがたくさん残されているが
聞くところによれば
円空はこの寺で切支丹処刑を知った
ひょっとしたらその菩提弔ったかな?
(これはいくらか唐突すぎるかも)
まぁ最低切支丹についての知識を持ったことは確か

研究の間では
キリスト教信者ではなかったが影響を受けている
と論じている人もいるようだ
私もそれには全面的ではないが賛成の立場

あちこちの円空仏の画像をみて
そんなかにマリア観音もどきもののを見かける
どこのものかの記憶はないのが残念だけど
そはそれなりの影響を受けて彫っているもではないか
と思ってもいたのだ

しかし
だけらと言って
円空がキリスト教信者であったとは絶対に思わないのだ
その理由は

円空は
64歳の時に多くの人に見守られながら
即身仏を目指して入滅したと聞く

ここまで読まれた方にはそれなりに想像されるかと思うが
キリスト教信者であれば
即身仏とはいえ自ら命を断つ=自殺は
しないのではないかと思うのだ

キリスト教では
命は神から与えられたもの
それを断つことは神を冒涜する「悪」とされているはず
自殺は自分を殺す殺人行為でもある
ということで
私は
円空は切支丹ではなかったと思っているのだ

話は横道に逸れるが
仏教の世界では「即身仏」というものが存在し
願いを叶えるために即身仏になるために入滅するという
その結果のものを見たこともあるが
私はこの考えには全く賛成できないのだ
人間死んでしまったら終わりだ
自分の考えを訴えるのなら生きてこそだと思っている
自然史、事故死なら致し方ないのだが
何かの顔をかけたり
何かを主張するには
命あってすべきことで
死をもってするのは邪道過ぎると思っている

実は
関市にある円空入滅の塚を見た時
円空は素晴らしい仏像をたくさん残しているのに
最後の最後でとんでもない間違いをしたものだと
多くの仏像を見てきて思う
晩年の作品を見て
正直ついていけないでいるのだ
見るのも嫌と思うことも多い

正直な気持ちを書けば
円空は最後の最後に狂気に走ったと

造形的には
究極の抽象化とも言われているらしいが
それはいかがなものだろうと思う

ピカソもそうだけど
あの造詣はいわゆる一般人の頭から出るものではない
一般的でないからこそ
それなりの評価を受けるのであるのだろうが
私はそこは一線を画したい

またもなんとも取り止めもないことを書いているが
今回は
円空は切支丹ではない
と言いたいのだ


これは円空の模刻で
私の作品

江南市音楽寺の荒神像だが
デフォルメもこの辺りは心底惚れることが出るものだ
最晩年の作品は
デフォルメが行きすぎて
私には精神的に気持ち悪いものを感じる


書き始めたら止めどもなくなるので
ここでやめておこうと

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