2024年10月28日
昔書いた 小説 を恥ずかしくもなくアップ
先日から”過去の栄光”の断捨離とばかりに、いろんなものを片付けていた。その中からいろんなものが出てきた。今日はその中で、短編小説を載っけてみることに。
20年くらい前に、教鞭をとっている時、学生たちのイベントで小説の競作があった。それに応募させろと学生たちに申し入れいたけど残念ながら実現しなかった。でも小説だけは書いていたのだ。
その時の凶作のテーマは「境界」だったかと記憶している。そのテーマに沿って、その滝頭に浮かんだものを書き上げた。
この下に、その本文をくっけます。長いし、横書きなので読みづらいと思われそうなので、A3版の縦書きにしたものをPDFにしてダウンロードできるようにしてあります。
私のこのブログは、生きた証を残すために始めたものなので、出来のある差は置いといて、アップしておこうということです。興味が終わりでしたら、お読みいただければ幸いです。
実は出てきたのがデジタルデータではなく、プリントアウトしたものだったので、Googleのテキスト変換機能を使って文字に起こして、それをアップするために少し書き直してます。
挿絵を入れようかとも思ったのですが、絵を描くのが得意ではないので、原作に近いままにすることにしました。
じょうけは、お空買う人それそれ異なるのお脳ので、想像してください。
微睡
長い旅の疲れが出たのか、眠気には勝てず車の中で仮眠をとったのだが、どのくらい眠ったのだろうか、まだ少しモウロウとしているが、すこしずつ目が覚めていく。
目の前はなんとなく薄暗く、まるで真冬の雪国の雪の降る前といった灰色のモノトーンの重たく冷たい風景に似ている。気付いてみると、目の前に川が流れている。私の今回の旅行にはこんな川は予定になかったと思うのだが。
そんなに大きな川ではなく、向こう岸が見えている。向こうは、今の私の周りとは違って、とにかく明るい。こちらは雲に覆われ、向こうは太陽がさんさんと照っているということなのか。
少し離れたところに舟着場があり、さほど大きくはない舟が停泊している。舟に乗っている人たちは、一人だけという人が多く、時々二人や三人という人たちがいる。その人たちが舟から岸にいる人に手を振っている。岸にいる人も一所懸命手を振っている。向こう岸に渡るのではないのかな?どこかほかに行くのだろうか。
それにしてもいろんな人がいる。正装した人、怪我をした人、いろんな人がいる。よく見ると付き添いもいないのか、親と逸れたのかあちこちが痣だらけで元気なく泣いている幼子もいる、その反対にもう90歳を越えているのではないかと思われる人もいる。
私は、とにかく明るく見える向こう岸に興味を引かれ舟に乗ってみようかと、舟着場に向かった。桟橋の入り口には、「美都之川渡し」と書かれている。係員なのだろう、見送りの人とは雰囲気が違い、どことなく無機質な人たちがいる。そのうちの一人に声をかけてみた。
「この舟はどこに行くのですか?」
「川を渡り、向こう岸までです。」
「岸の向こうは、明るくて、たくさんの花か咲いて、すごく明るくきれいなところのようですが。なんと言う所ですか?」
「『佳之貴志』といいます。ちなみにこちらは、『古之貴志』といいます。」
「その『佳之貴志』はどんな所なんですか?」
「とにかくすばらしい所だと聞いてます。争いごともなく、食べるものにも困らず、仕事の心配も無く、みなさん伸び伸びと暮らしておられるとのことですよ。実は私もまだ行ったことがないのですが、舟に乗って行かれた方がどなたも戻ってこられないところをみると、噂の通りなのでしょうねえ。」、
「そんなにすばらしい所なのですか。一度は行ってみたいものですね。私でも行けますか?」
「往くときが来れば、お往きになれると思いますよ。」
「ぜひ行ってみたいのですが、今あの舟に乗ることはできますか?」
「この時間は、定員で無理ですね。多くの場合予約制ですが、この次なら空いているので大丈夫でしょう。」
「料金は、いくらですか?」
「とくに決められたものはありませんが、といっても必ず某かのお金がいりますよ。舟の中で払っていただきます。」
「みなさんどのくらいお金を持っていかれます?」
「そうですねえ。いろいろですが、多くの方がお持ちのお金は黒ずんだ十円硬貨ですが、なかには焦げた萬札なんていう人もたまにありますねえ。」
「へえー、10円と万札・・・本当にいろいろですね。」
話をしている間に舟は出ていった。見送りをした人たちがぞろぞろ歩いくる。ほとんどの人が涙を流している。中にはすっきりとしたような満足気なニコニコ顔の人もいる。ここも人それぞれなのだろう。
舟に乗るには金がいるとのことなのに、私は、金を持っていないのに気づき、財布を取りに車に戻った。車に戻ってはみたものの、財布がない。どこを探してもないのだ。今回の旅行にはかなりな金を持ってでかけている。大きい金は、カバンの中のはずだし、小銭はダッシュボードにおいていたはずなのだが、それが見つからない。車を離れている間に盗まれでもしたのだろうか。
お金がないのでは、舟には乗せてもらえないと係りの人は言っていた。諦めなくてはいけないようだなと思ったのだが、どこかに小銭はないかとあちこちをさわると胸のポケットに免許証があった。その中にはクレジットカードがある、これが使えないかと、また乗舟場に向かった。
乗舟場にはもう見送りの人たちは誰もいなくなっていた。次の舟までには時間かあるのか、今は誰もいない。さっきの係りを見つけて声をかけた。
「次の舟は何時ですか」
「二時間後です。」
「結構インターバルは短いんですね。」
「今日は短いですね。全く無い日もありますし、無い日の翌日は多くて大変です。」
「所で、乗ってみたいのですが、お金がないと乗せてもらえないのですか」
「ここの『美都之川渡し』の規則のようです。」
「そうですか、今私は現金の持ち合わせがないのですが、クレジットカ
ードの持ち合わせならあります。クレジットではだめですか。」
「残念ですが世界が違いますね。まあ、無理されずに今回は諦めてください。いつか必ずお乗りになれますから。」
「そうですか、乗せていただけないのなら致し方なですね。残念だなあ。」
私はまだ向こうに渡ることに未練はあったが、舟に乗せてもらえないのではと諦めざるをえなかった。
舟に乗ることを諦め、私は車に戻った。車を発進させようとしたのだが、どうしたことなのだろう。座席に座ったところで眠気に襲われた。そのまま私は眠ってしまった。
部屋
どのくらい眠ったのだろう。何かずいぶん周りが騒々しい。それに私を呼んでいるようだ。うっすらと目をあけてみると、どうしたことか、車の中で寝ているのではなく、私はベッドに横たわっているではないか。意識が少しずつはっきりとしてくる。目を少しずつ開いてみた。
なんだ? 家族が全員ベッドの周りにいるではないか。どうしたことなのだといぶかしく思った。
私が目を開くと同時に、周りの全員が大声で歓声をあげたのだ。「うわぁ、よかった、生きてるよ。本当に心配させてえ。」
「よかった、よかった」
みんなが口々に、私が生きていてよかったと言っている。私は、まるで狐に摘まれたような気持ちだ。みんなに何を言っているのかといってやろうと思ったのだが、声が出ない。手も足も動かない。とにかく何もできないのだ。
白衣を来た医者らしき男が、「もう大丈夫だと思いますが、ただ、まだ薬とアルコールの副作用から醒めてませんし、今夜がやまです。とにかくしばらくは朦朧とされていると思います。譫言のようなどを話されるかもしれません。山を越えられるのは、この方ご自身のお力です。」
確か、子供のころにもこんなことがあったなぁ。肺炎を患って高熱を出した。何でも42度を超えていたと母がいっていた。そのときは、布団の中でぐったりしていたが、往診の医者が脈を診て、聴診器で胸を診て、家族に何も言わずに、怒ったような印象で帰ってしまった。私は医者に投げられてしまったのだ。熱はあったものの、私の記憶に今でもしっかりとそのときの様子は残っている。
でも、今はいったい私はどうしたというのだ。旅の途中で、眠気に勝てず車の中で寝たのでないのか。それとも寝ている間に何かあったというのか。いろいろな顔が私の顔の顔を覗きこみ、みんな一様に「しっかりね。がんばるのよ。」と声をかけていくが、その人が誰なのか分からない。一所懸命思い出そうとするが、何しろはっきりと見えるのではない、まだはっきりと見えないのだ。昔の記憶ははっきりとしているというのに。
しばらくすると、また眠くなってきた。さっき医者がクスリがどうのと言っていたが、そのクスリのせいなのか、吸い込まれるように、まるで谷に落ちておくように目の前が・・・・・・ああ、枕から頭がずれた夢ならいいのだが。
母
私を呼ぶ声に目が覚めた。呼んでいたのは母親だ。目を覚まし目が合うなり母は、私に向かって怒ったようにいう。ずいぶん懐かしい、昔よく怒られたものだが、もうかなり昔のことで遠い遠い記憶だ。
「こんなところに何しに来たんだ?」
「何しにきたんだって。舟に乗ろうと思ってさ。」
気づけば、私はまた舟着場に来ている。母は例の舟の上から私に声をかけたのだ。
「お前はここがどこだか分かってるのか?この川は三途の川、この舟は、三途の川の渡し舟。乗ったらもうそっちの世界には戻れないのだよ。お前はまだ乗るには早すぎるのよ。」
「母さんは、乗ってるじゃない。なにいってるんだよ。」
「お前もぼけたね。30年も経つとそんなにぼけるものかね。私は30年前にこの舟に乗ったよ。忘れたのかい? ついさっき、向こうの岸、そうそう、むこうは『彼岸』というところ、その向こう岸を歩いていたらたまたま舟が着いて、お前が舟付き場に来ているといっている人がいたんで、まだ間に合うかもしれないと舟に乗ってきてみたんだ。」
「向こう岸が『彼岸』? 係りの人は『佳之貴志』って言ってたよ。こっちのことは『古之貴志』って。」
「そりゃね。『佳之貴志』て、漢字を書き換えてみな。『彼岸』さ。まだ向こうに渡る必要のない人がたまに来るからわからないようにしているのだよ。」
「それにしても川の名前が『美都之川』って、渡りたくもなるよ。なんだよ、これも漢字の置き換えかよ。さっきは、舟に乗ろうとしたけど金がなかったから、乗せてもらえなかった。」
「それでよかったんだよ。金が見つからなかったのは、運がよかったのさ。お前はまだまだ、向こうに来るには早いのだから。もうお家にお帰り。みんなを安心させておやり。」
「わかったよ。ん?『古之貴志』って『此岸』ってことか。そういえば、もうじき彼岸だな。
「そう。だから、私は向こう岸の近くまで来ていたってわけさ。」
「わかった、わかった。それじゃあ帰るよ。だけどここからどうやって帰りゃいいんだ?」
「さっきと同じだよ。車に帰って寝てればいい。そうすれば帰っていけるから。もう当分来るんじゃないよ。お前はまだまだやらなきゃいけないこといっぱいあるはずだろう?」
「そうだな。やり残していることあるもんなぁ。だけどどうしてここにいたか知っている?」
「ああ。旅行の途中で飲めないのに苦手な酒を飲んで、酸欠になって・・・」
「へえ? それにしても、麻酔でもかけられたのか? 手術でもしたのかな?」
「まあ。帰ってから誰かに聞いてみな。とにかくもう帰れ。」
「そう怒るなよ。相変わらずだなぁ。わかった。わかった。それじゃな。」
母と話すのは、母が亡くなって一週間くらい経ってから、夢の中で話をした。母は、とんでもなく明るい花園の中にいた。花の中に立っていた。そういえば、ついさっき向こう岸に見えた花園がそんな感じだったかな。そんなことを思いつつ、母のいうとおりに車に戻り、眠くなるのを待った。
目覚め
目が覚めてきた。前よりもはっきりと目の前のものが見える。家族がみんないる。さっきよりも心配な表情がきつい。半ば諦めているようにもとれないことはない。そういえば、医者は「今夜がやまだ」とか言っていたな。そんなときに、また意識がなくなったんだから、みんな心配したか、諦めたかのどっちかなのかもしれないな。
私は、さっきは声が出なかったが、とにかく今度は何かいわねばと思っ思い切って声を出してみた。
「みんなどうしたんだ?」
「なにがどうしたじゃないでしょう。飲めないのに酒飲んで。ばかあ。。。。」
家内だ。びっくりしたようでもあり、怒ったような声を出してはいるが、涙をぼろぼろ落とし、顔をくしゃくしゃにして泣きながら叫んでいる。「アルコールが許容量を超えたんだってよ。どうしてそんなに飲んだの
「そんなに飲んじゃいないよ。缶ビール一本だよ。」
「うそ。いくら弱くったって、缶ビール一本はないでしょう。どうし
「歩き疲れて、風呂上りに飲んだ・・・・そうじゃないや、またやっちまったんだ。頭痛くて、くすり飲んでたんだ。それを忘れてたよ。」
「ばかねえ。昔それで意識なくなったことあったでしょうに。お友達に二度とするなって言われたでしょう?」
医者が割って入ってきて、私の脈を取り、まぶたを押し開いて懐中電灯を当てた。
「もう大丈夫でしょう。これだけお話になれますしね。それにしてもたいした生命力だ。一時は、意識がなくなって、酸欠状態で脳死状態でしたからね。もうだめと匙を投げましたけどね。頭痛薬とアルコールでしょう。人によっては、時には命取りになるかも。とにかく催眠作用がありますから。」
それにしても、わたしは三途の川を渡る寸前まで行っていたことは確かなようだ。母親にたしなめられなかったら、あのまま無理にでも渡しに乗っていたかもしれない。三途の川・・・・こちらの岸と向こう岸の境か。渡っていたら、こんな話を書くこともできなったのだ。でも、いつか必ず渡ることにもなるのか・・・・
9月はじめの旅の途中の出来事だった。
20年くらい前に、教鞭をとっている時、学生たちのイベントで小説の競作があった。それに応募させろと学生たちに申し入れいたけど残念ながら実現しなかった。でも小説だけは書いていたのだ。
その時の凶作のテーマは「境界」だったかと記憶している。そのテーマに沿って、その滝頭に浮かんだものを書き上げた。
この下に、その本文をくっけます。長いし、横書きなので読みづらいと思われそうなので、A3版の縦書きにしたものをPDFにしてダウンロードできるようにしてあります。
私のこのブログは、生きた証を残すために始めたものなので、出来のある差は置いといて、アップしておこうということです。興味が終わりでしたら、お読みいただければ幸いです。
実は出てきたのがデジタルデータではなく、プリントアウトしたものだったので、Googleのテキスト変換機能を使って文字に起こして、それをアップするために少し書き直してます。
挿絵を入れようかとも思ったのですが、絵を描くのが得意ではないので、原作に近いままにすることにしました。
じょうけは、お空買う人それそれ異なるのお脳ので、想像してください。
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『川』 作 生田佳石
微睡
長い旅の疲れが出たのか、眠気には勝てず車の中で仮眠をとったのだが、どのくらい眠ったのだろうか、まだ少しモウロウとしているが、すこしずつ目が覚めていく。
目の前はなんとなく薄暗く、まるで真冬の雪国の雪の降る前といった灰色のモノトーンの重たく冷たい風景に似ている。気付いてみると、目の前に川が流れている。私の今回の旅行にはこんな川は予定になかったと思うのだが。
そんなに大きな川ではなく、向こう岸が見えている。向こうは、今の私の周りとは違って、とにかく明るい。こちらは雲に覆われ、向こうは太陽がさんさんと照っているということなのか。
少し離れたところに舟着場があり、さほど大きくはない舟が停泊している。舟に乗っている人たちは、一人だけという人が多く、時々二人や三人という人たちがいる。その人たちが舟から岸にいる人に手を振っている。岸にいる人も一所懸命手を振っている。向こう岸に渡るのではないのかな?どこかほかに行くのだろうか。
それにしてもいろんな人がいる。正装した人、怪我をした人、いろんな人がいる。よく見ると付き添いもいないのか、親と逸れたのかあちこちが痣だらけで元気なく泣いている幼子もいる、その反対にもう90歳を越えているのではないかと思われる人もいる。
私は、とにかく明るく見える向こう岸に興味を引かれ舟に乗ってみようかと、舟着場に向かった。桟橋の入り口には、「美都之川渡し」と書かれている。係員なのだろう、見送りの人とは雰囲気が違い、どことなく無機質な人たちがいる。そのうちの一人に声をかけてみた。
「この舟はどこに行くのですか?」
「川を渡り、向こう岸までです。」
「岸の向こうは、明るくて、たくさんの花か咲いて、すごく明るくきれいなところのようですが。なんと言う所ですか?」
「『佳之貴志』といいます。ちなみにこちらは、『古之貴志』といいます。」
「その『佳之貴志』はどんな所なんですか?」
「とにかくすばらしい所だと聞いてます。争いごともなく、食べるものにも困らず、仕事の心配も無く、みなさん伸び伸びと暮らしておられるとのことですよ。実は私もまだ行ったことがないのですが、舟に乗って行かれた方がどなたも戻ってこられないところをみると、噂の通りなのでしょうねえ。」、
「そんなにすばらしい所なのですか。一度は行ってみたいものですね。私でも行けますか?」
「往くときが来れば、お往きになれると思いますよ。」
「ぜひ行ってみたいのですが、今あの舟に乗ることはできますか?」
「この時間は、定員で無理ですね。多くの場合予約制ですが、この次なら空いているので大丈夫でしょう。」
「料金は、いくらですか?」
「とくに決められたものはありませんが、といっても必ず某かのお金がいりますよ。舟の中で払っていただきます。」
「みなさんどのくらいお金を持っていかれます?」
「そうですねえ。いろいろですが、多くの方がお持ちのお金は黒ずんだ十円硬貨ですが、なかには焦げた萬札なんていう人もたまにありますねえ。」
「へえー、10円と万札・・・本当にいろいろですね。」
話をしている間に舟は出ていった。見送りをした人たちがぞろぞろ歩いくる。ほとんどの人が涙を流している。中にはすっきりとしたような満足気なニコニコ顔の人もいる。ここも人それぞれなのだろう。
舟に乗るには金がいるとのことなのに、私は、金を持っていないのに気づき、財布を取りに車に戻った。車に戻ってはみたものの、財布がない。どこを探してもないのだ。今回の旅行にはかなりな金を持ってでかけている。大きい金は、カバンの中のはずだし、小銭はダッシュボードにおいていたはずなのだが、それが見つからない。車を離れている間に盗まれでもしたのだろうか。
お金がないのでは、舟には乗せてもらえないと係りの人は言っていた。諦めなくてはいけないようだなと思ったのだが、どこかに小銭はないかとあちこちをさわると胸のポケットに免許証があった。その中にはクレジットカードがある、これが使えないかと、また乗舟場に向かった。
乗舟場にはもう見送りの人たちは誰もいなくなっていた。次の舟までには時間かあるのか、今は誰もいない。さっきの係りを見つけて声をかけた。
「次の舟は何時ですか」
「二時間後です。」
「結構インターバルは短いんですね。」
「今日は短いですね。全く無い日もありますし、無い日の翌日は多くて大変です。」
「所で、乗ってみたいのですが、お金がないと乗せてもらえないのですか」
「ここの『美都之川渡し』の規則のようです。」
「そうですか、今私は現金の持ち合わせがないのですが、クレジットカ
ードの持ち合わせならあります。クレジットではだめですか。」
「残念ですが世界が違いますね。まあ、無理されずに今回は諦めてください。いつか必ずお乗りになれますから。」
「そうですか、乗せていただけないのなら致し方なですね。残念だなあ。」
私はまだ向こうに渡ることに未練はあったが、舟に乗せてもらえないのではと諦めざるをえなかった。
舟に乗ることを諦め、私は車に戻った。車を発進させようとしたのだが、どうしたことなのだろう。座席に座ったところで眠気に襲われた。そのまま私は眠ってしまった。
部屋
どのくらい眠ったのだろう。何かずいぶん周りが騒々しい。それに私を呼んでいるようだ。うっすらと目をあけてみると、どうしたことか、車の中で寝ているのではなく、私はベッドに横たわっているではないか。意識が少しずつはっきりとしてくる。目を少しずつ開いてみた。
なんだ? 家族が全員ベッドの周りにいるではないか。どうしたことなのだといぶかしく思った。
私が目を開くと同時に、周りの全員が大声で歓声をあげたのだ。「うわぁ、よかった、生きてるよ。本当に心配させてえ。」
「よかった、よかった」
みんなが口々に、私が生きていてよかったと言っている。私は、まるで狐に摘まれたような気持ちだ。みんなに何を言っているのかといってやろうと思ったのだが、声が出ない。手も足も動かない。とにかく何もできないのだ。
白衣を来た医者らしき男が、「もう大丈夫だと思いますが、ただ、まだ薬とアルコールの副作用から醒めてませんし、今夜がやまです。とにかくしばらくは朦朧とされていると思います。譫言のようなどを話されるかもしれません。山を越えられるのは、この方ご自身のお力です。」
確か、子供のころにもこんなことがあったなぁ。肺炎を患って高熱を出した。何でも42度を超えていたと母がいっていた。そのときは、布団の中でぐったりしていたが、往診の医者が脈を診て、聴診器で胸を診て、家族に何も言わずに、怒ったような印象で帰ってしまった。私は医者に投げられてしまったのだ。熱はあったものの、私の記憶に今でもしっかりとそのときの様子は残っている。
でも、今はいったい私はどうしたというのだ。旅の途中で、眠気に勝てず車の中で寝たのでないのか。それとも寝ている間に何かあったというのか。いろいろな顔が私の顔の顔を覗きこみ、みんな一様に「しっかりね。がんばるのよ。」と声をかけていくが、その人が誰なのか分からない。一所懸命思い出そうとするが、何しろはっきりと見えるのではない、まだはっきりと見えないのだ。昔の記憶ははっきりとしているというのに。
しばらくすると、また眠くなってきた。さっき医者がクスリがどうのと言っていたが、そのクスリのせいなのか、吸い込まれるように、まるで谷に落ちておくように目の前が・・・・・・ああ、枕から頭がずれた夢ならいいのだが。
母
私を呼ぶ声に目が覚めた。呼んでいたのは母親だ。目を覚まし目が合うなり母は、私に向かって怒ったようにいう。ずいぶん懐かしい、昔よく怒られたものだが、もうかなり昔のことで遠い遠い記憶だ。
「こんなところに何しに来たんだ?」
「何しにきたんだって。舟に乗ろうと思ってさ。」
気づけば、私はまた舟着場に来ている。母は例の舟の上から私に声をかけたのだ。
「お前はここがどこだか分かってるのか?この川は三途の川、この舟は、三途の川の渡し舟。乗ったらもうそっちの世界には戻れないのだよ。お前はまだ乗るには早すぎるのよ。」
「母さんは、乗ってるじゃない。なにいってるんだよ。」
「お前もぼけたね。30年も経つとそんなにぼけるものかね。私は30年前にこの舟に乗ったよ。忘れたのかい? ついさっき、向こうの岸、そうそう、むこうは『彼岸』というところ、その向こう岸を歩いていたらたまたま舟が着いて、お前が舟付き場に来ているといっている人がいたんで、まだ間に合うかもしれないと舟に乗ってきてみたんだ。」
「向こう岸が『彼岸』? 係りの人は『佳之貴志』って言ってたよ。こっちのことは『古之貴志』って。」
「そりゃね。『佳之貴志』て、漢字を書き換えてみな。『彼岸』さ。まだ向こうに渡る必要のない人がたまに来るからわからないようにしているのだよ。」
「それにしても川の名前が『美都之川』って、渡りたくもなるよ。なんだよ、これも漢字の置き換えかよ。さっきは、舟に乗ろうとしたけど金がなかったから、乗せてもらえなかった。」
「それでよかったんだよ。金が見つからなかったのは、運がよかったのさ。お前はまだまだ、向こうに来るには早いのだから。もうお家にお帰り。みんなを安心させておやり。」
「わかったよ。ん?『古之貴志』って『此岸』ってことか。そういえば、もうじき彼岸だな。
「そう。だから、私は向こう岸の近くまで来ていたってわけさ。」
「わかった、わかった。それじゃあ帰るよ。だけどここからどうやって帰りゃいいんだ?」
「さっきと同じだよ。車に帰って寝てればいい。そうすれば帰っていけるから。もう当分来るんじゃないよ。お前はまだまだやらなきゃいけないこといっぱいあるはずだろう?」
「そうだな。やり残していることあるもんなぁ。だけどどうしてここにいたか知っている?」
「ああ。旅行の途中で飲めないのに苦手な酒を飲んで、酸欠になって・・・」
「へえ? それにしても、麻酔でもかけられたのか? 手術でもしたのかな?」
「まあ。帰ってから誰かに聞いてみな。とにかくもう帰れ。」
「そう怒るなよ。相変わらずだなぁ。わかった。わかった。それじゃな。」
母と話すのは、母が亡くなって一週間くらい経ってから、夢の中で話をした。母は、とんでもなく明るい花園の中にいた。花の中に立っていた。そういえば、ついさっき向こう岸に見えた花園がそんな感じだったかな。そんなことを思いつつ、母のいうとおりに車に戻り、眠くなるのを待った。
目覚め
目が覚めてきた。前よりもはっきりと目の前のものが見える。家族がみんないる。さっきよりも心配な表情がきつい。半ば諦めているようにもとれないことはない。そういえば、医者は「今夜がやまだ」とか言っていたな。そんなときに、また意識がなくなったんだから、みんな心配したか、諦めたかのどっちかなのかもしれないな。
私は、さっきは声が出なかったが、とにかく今度は何かいわねばと思っ思い切って声を出してみた。
「みんなどうしたんだ?」
「なにがどうしたじゃないでしょう。飲めないのに酒飲んで。ばかあ。。。。」
家内だ。びっくりしたようでもあり、怒ったような声を出してはいるが、涙をぼろぼろ落とし、顔をくしゃくしゃにして泣きながら叫んでいる。「アルコールが許容量を超えたんだってよ。どうしてそんなに飲んだの
「そんなに飲んじゃいないよ。缶ビール一本だよ。」
「うそ。いくら弱くったって、缶ビール一本はないでしょう。どうし
「歩き疲れて、風呂上りに飲んだ・・・・そうじゃないや、またやっちまったんだ。頭痛くて、くすり飲んでたんだ。それを忘れてたよ。」
「ばかねえ。昔それで意識なくなったことあったでしょうに。お友達に二度とするなって言われたでしょう?」
医者が割って入ってきて、私の脈を取り、まぶたを押し開いて懐中電灯を当てた。
「もう大丈夫でしょう。これだけお話になれますしね。それにしてもたいした生命力だ。一時は、意識がなくなって、酸欠状態で脳死状態でしたからね。もうだめと匙を投げましたけどね。頭痛薬とアルコールでしょう。人によっては、時には命取りになるかも。とにかく催眠作用がありますから。」
それにしても、わたしは三途の川を渡る寸前まで行っていたことは確かなようだ。母親にたしなめられなかったら、あのまま無理にでも渡しに乗っていたかもしれない。三途の川・・・・こちらの岸と向こう岸の境か。渡っていたら、こんな話を書くこともできなったのだ。でも、いつか必ず渡ることにもなるのか・・・・
9月はじめの旅の途中の出来事だった。
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