2008年01月18日
京都08年 日帰り旅 5 知恩院・三門の中
必死で上がった割には、写真を取らせてもらえないので、内心『仏仏(ぶつぶつ)』。半分回って、北側に。そこから中に入るt。
ここは、仏の場。あれっ???TVで見たときは、もっとキンキラキンで、きれいだったぞ。今は、ライトも当たっていないから、なんかくすんで見えるし、それにそれに、、、ここは阿弥陀さんの世界じゃぁないヨォ へぇ????
知恩院は、法然上人が開祖の浄土宗。当然浄土教の中にあるはず。それなのに、それなのに。なんと西を向いて鎮座しているのは、釈迦無尼仏だ。法然さんは、「南無阿弥陀仏」それだけでいいといっていたはず。それなのにそれなのに。
実は、法然上人が亡くなってから、弟子たちがいろいろ意見が食い違って、いろんな派ができたんだよな。それで、完全じゃ浄土教ではなく、天台宗の流れが結構多く残っているということか・・・
この点が、親鸞が浄土宗を離れた理由の一つになるのだろう。
中で、ボランティア(だと思う)の人の説明がある。なにかかかれたものを丸暗記して、それを反されているという印象だ。その元となる話の出所が何なのかわからない。私がこれまで学んできたことと多少の食い違いがあったりする。
それと、僧籍の方ではないので、精神的なものの話が無い。最もされたとしても、聞いておられる方がどこまでその話に耐えられるかが問題かもしれない。
天井や周りに竜や怪獣の絵が描かれている。いつかかれたものかわからない。話を聞いあとでじっくりをまわりのへい、欄間?に描かれている絵を眺めていて、人間の名前、地名が書かれているものがあることに気づいた。なんだろうと考えた見たが、最初は絵を書いた絵師の出身地と名前かと思ったのだが、ぐるっと回ってみていくと所かまわず書き込まれているではないか。ということは、これは落書きだろうと思う棟になった。
説明員というとか案内人というか、ボランティアの若い女性に声をかけて聞いてみたら、「廃仏毀釈の時に寺が全て解放された時期があり、そのときに書かれた落書きではないか』との見解を。彼女、立命館大学文学部の3回生とのことだった。
ここは、仏の場。あれっ???TVで見たときは、もっとキンキラキンで、きれいだったぞ。今は、ライトも当たっていないから、なんかくすんで見えるし、それにそれに、、、ここは阿弥陀さんの世界じゃぁないヨォ へぇ????
知恩院は、法然上人が開祖の浄土宗。当然浄土教の中にあるはず。それなのに、それなのに。なんと西を向いて鎮座しているのは、釈迦無尼仏だ。法然さんは、「南無阿弥陀仏」それだけでいいといっていたはず。それなのにそれなのに。
実は、法然上人が亡くなってから、弟子たちがいろいろ意見が食い違って、いろんな派ができたんだよな。それで、完全じゃ浄土教ではなく、天台宗の流れが結構多く残っているということか・・・
この点が、親鸞が浄土宗を離れた理由の一つになるのだろう。
中で、ボランティア(だと思う)の人の説明がある。なにかかかれたものを丸暗記して、それを反されているという印象だ。その元となる話の出所が何なのかわからない。私がこれまで学んできたことと多少の食い違いがあったりする。
それと、僧籍の方ではないので、精神的なものの話が無い。最もされたとしても、聞いておられる方がどこまでその話に耐えられるかが問題かもしれない。
天井や周りに竜や怪獣の絵が描かれている。いつかかれたものかわからない。話を聞いあとでじっくりをまわりのへい、欄間?に描かれている絵を眺めていて、人間の名前、地名が書かれているものがあることに気づいた。なんだろうと考えた見たが、最初は絵を書いた絵師の出身地と名前かと思ったのだが、ぐるっと回ってみていくと所かまわず書き込まれているではないか。ということは、これは落書きだろうと思う棟になった。
説明員というとか案内人というか、ボランティアの若い女性に声をかけて聞いてみたら、「廃仏毀釈の時に寺が全て解放された時期があり、そのときに書かれた落書きではないか』との見解を。彼女、立命館大学文学部の3回生とのことだった。