2008年02月03日
嫁入りの翌日
昨日は愛車を嫁に出した。
夜になって、ひとりぽつんとしたとき、
愛車とともに長旅をしたことが
走馬灯のように思い出され
ついつい。。。。。。。
ある年は、長野から野尻湖、上越市を経由して
まだ高速のできていない新潟~会津若松を走り、喜多方へ
会津若松で宿泊して、翌日は日光に行き、前橋。
その翌日には高崎のだるま寺へ行き、
軽井沢から当時日本最高位の国道の峠 麦草峠を越えた
ある年は、四国へ
高速を乗り違えて中国自動車道に入って津山まで、
津山から岡山に出て、橋を渡って高松へ、
翌日は、金比羅に行き、倉敷に立ち寄った。
ある年は、
米子まで高速で、妖怪を見て松江泊。
翌日は、出雲でそばを食べそこね、雨の中を萩まで。
萩では何とか雲が切れ、最悪の夕日をみた。
翌日は、真夏の晴天の中、萩市内を見て周り、秋芳洞を見て、山口へ。
その翌日は、津和野に行って、これまた雨の中を岩国で橋を見て
土砂降りの広島でホテルを探しまくった。
翌日は一日かけて、くらしき、び全を経由して、名古屋に帰った
ある年は、
瀬戸大橋から鳴門に行き、徳島を通り越して室戸の手前で
ホテル(『俺たちの旅』のその後の話しのロケ地)で泊まって、
翌日は、室戸岬、桂浜、高知城を見て泊。
翌日、大歩危小歩危、かずら橋、松山城を見て海を半分渡って
大三島で泊まった。
翌日は、未完成のしまなみ街道を尾道へ。
そこから、倉敷、備前経由で名古屋まで。
まだまだ 長いドライブをともにした。
時には、茨城から上越までの日本横断という過酷なことも
そんな思い出を残してくれた愛車だった。
14年6ヶ月の感謝をこめて、ありがとう。
今朝は、まだ涙目、
昨夜の涙か、花粉のせいか?
花粉はないなぁ。今日は雨だもの。
夜になって、ひとりぽつんとしたとき、
愛車とともに長旅をしたことが
走馬灯のように思い出され
ついつい。。。。。。。
ある年は、長野から野尻湖、上越市を経由して
まだ高速のできていない新潟~会津若松を走り、喜多方へ
会津若松で宿泊して、翌日は日光に行き、前橋。
その翌日には高崎のだるま寺へ行き、
軽井沢から当時日本最高位の国道の峠 麦草峠を越えた
ある年は、四国へ
高速を乗り違えて中国自動車道に入って津山まで、
津山から岡山に出て、橋を渡って高松へ、
翌日は、金比羅に行き、倉敷に立ち寄った。
ある年は、
米子まで高速で、妖怪を見て松江泊。
翌日は、出雲でそばを食べそこね、雨の中を萩まで。
萩では何とか雲が切れ、最悪の夕日をみた。
翌日は、真夏の晴天の中、萩市内を見て周り、秋芳洞を見て、山口へ。
その翌日は、津和野に行って、これまた雨の中を岩国で橋を見て
土砂降りの広島でホテルを探しまくった。
翌日は一日かけて、くらしき、び全を経由して、名古屋に帰った
ある年は、
瀬戸大橋から鳴門に行き、徳島を通り越して室戸の手前で
ホテル(『俺たちの旅』のその後の話しのロケ地)で泊まって、
翌日は、室戸岬、桂浜、高知城を見て泊。
翌日、大歩危小歩危、かずら橋、松山城を見て海を半分渡って
大三島で泊まった。
翌日は、未完成のしまなみ街道を尾道へ。
そこから、倉敷、備前経由で名古屋まで。
まだまだ 長いドライブをともにした。
時には、茨城から上越までの日本横断という過酷なことも
そんな思い出を残してくれた愛車だった。
14年6ヶ月の感謝をこめて、ありがとう。
今朝は、まだ涙目、
昨夜の涙か、花粉のせいか?
花粉はないなぁ。今日は雨だもの。