2008年03月08日
TV 大田総理
気分転換にTVを見た。
以前は金曜日は「チャングムの誓い」を見ていたので、ほかの番組はあまりみることはなかった。それが先月何度もあったチャングムの放送がなくなったのでほかの番組を見ることになった。
どうも金曜日は性に会った番組が無い。今日は『大田総理』を見ることにした。太田光の毒舌は、うなづけるものもあるが、そうでないものもある。ただ頭は悪くないと思っている。
今日は『インターネットは1時間とする』というテリー伊藤のマニフェスト。いろいろ議論があった割には、なんともすっきりとしないで終了。
子供に1時間以上のインターネット利用を制限することは、私としてはある程度必要なことではないかと思っている。子供だけではなくて、大学生も含めてそう思っている。
テリー伊藤は、彼の作った番組があまりにも数字稼ぎでしかなかったので、その思いからだけでは一嫌いな人間の部類に入る。しかし、今日の彼の発言は認めることができるものが結構あった。
ネット依存による弊害は、想像力の低下をもたらすということは、実感としてわかっているだけに、何とかしなければいけないことはよくわかる。
依然、大学生のレポートを何度となく読まされたのだが、まったく同じ文章がかなりの確立で複数の学生が書いている。気になったので、その文章をネット検索したら、なんとネットにあがっている論文の丸写しだったわけだ。自分で考えようとすることがなく、ネット依存で人のものを使って済まそうとする。ここには、考える、創造するという力は生まれてこない。
読んだものを糧に、そこから自分なりの意見を持つようになってくれればまだ救いはあるというものだが、そういったことは頭に無い学生がずいぶんいた
数年この状態が続いたが年を追うごとにひどくなってものである。おそらく今はもっとひどくなっているかもしれない。嘆かわしい思い出である。
昨年のクリスマスに、孫にゲーム機をせがまれて買った。そのゲーム機を持たない孫は友人に後れを取っていたらしい。それを解消したいということだった。
買い与えるときの孫との約束、一日に30分だけだよと。彼は、その約束を守っているらしい。
この約束は、想像力の欠如ではない。視力の欠如を心配しているからだ。実は息子のときに失敗した。ゲーム機を持たない息子は、通人の家に行き、無制限でやり続けたらしい。そのせいで小学校の時ある夏休みに資料を落とした。眼科医に『この夏にやられたわね』といわれた。
そんな苦い思いがあるので、孫と、孫の両親との約束である。
ネット依存では、長時間画面に向かっていると焦点を固定するために、遠近調整ができなくなる傾向にある。これは、私自身の体験である。仕事のときは見続けることはあまりないが、気晴らしのゲームでは見続けることになるので、その後の目の調節が難しくなる。
想像力の欠如、視力の欠如。いずれも子供だけではなく大人にも言えることだと思うが、特に子供に関しては、親の考え方で大きく変わるだろう。きちんとしたものの見方で子供を見ていかないと、いくつものものの欠如を招くことになる。そして、どこかで後悔することになる可能性を秘めている。
お気をつけください。
以前は金曜日は「チャングムの誓い」を見ていたので、ほかの番組はあまりみることはなかった。それが先月何度もあったチャングムの放送がなくなったのでほかの番組を見ることになった。
どうも金曜日は性に会った番組が無い。今日は『大田総理』を見ることにした。太田光の毒舌は、うなづけるものもあるが、そうでないものもある。ただ頭は悪くないと思っている。
今日は『インターネットは1時間とする』というテリー伊藤のマニフェスト。いろいろ議論があった割には、なんともすっきりとしないで終了。
子供に1時間以上のインターネット利用を制限することは、私としてはある程度必要なことではないかと思っている。子供だけではなくて、大学生も含めてそう思っている。
テリー伊藤は、彼の作った番組があまりにも数字稼ぎでしかなかったので、その思いからだけでは一嫌いな人間の部類に入る。しかし、今日の彼の発言は認めることができるものが結構あった。
ネット依存による弊害は、想像力の低下をもたらすということは、実感としてわかっているだけに、何とかしなければいけないことはよくわかる。
依然、大学生のレポートを何度となく読まされたのだが、まったく同じ文章がかなりの確立で複数の学生が書いている。気になったので、その文章をネット検索したら、なんとネットにあがっている論文の丸写しだったわけだ。自分で考えようとすることがなく、ネット依存で人のものを使って済まそうとする。ここには、考える、創造するという力は生まれてこない。
読んだものを糧に、そこから自分なりの意見を持つようになってくれればまだ救いはあるというものだが、そういったことは頭に無い学生がずいぶんいた
数年この状態が続いたが年を追うごとにひどくなってものである。おそらく今はもっとひどくなっているかもしれない。嘆かわしい思い出である。
昨年のクリスマスに、孫にゲーム機をせがまれて買った。そのゲーム機を持たない孫は友人に後れを取っていたらしい。それを解消したいということだった。
買い与えるときの孫との約束、一日に30分だけだよと。彼は、その約束を守っているらしい。
この約束は、想像力の欠如ではない。視力の欠如を心配しているからだ。実は息子のときに失敗した。ゲーム機を持たない息子は、通人の家に行き、無制限でやり続けたらしい。そのせいで小学校の時ある夏休みに資料を落とした。眼科医に『この夏にやられたわね』といわれた。
そんな苦い思いがあるので、孫と、孫の両親との約束である。
ネット依存では、長時間画面に向かっていると焦点を固定するために、遠近調整ができなくなる傾向にある。これは、私自身の体験である。仕事のときは見続けることはあまりないが、気晴らしのゲームでは見続けることになるので、その後の目の調節が難しくなる。
想像力の欠如、視力の欠如。いずれも子供だけではなく大人にも言えることだと思うが、特に子供に関しては、親の考え方で大きく変わるだろう。きちんとしたものの見方で子供を見ていかないと、いくつものものの欠如を招くことになる。そして、どこかで後悔することになる可能性を秘めている。
お気をつけください。