2008年03月24日
過去の記録の裁断
一昨日 シュレッダーを買ってきた。これまでにも小型の手動を持っているのだが、多量に処分しなくてはならないものがあるの電動のものを買ってきた。
過去からいろいろ裁断はしてきているが、今回は私の最後の公の仕事の記録である。名簿。数百人という人間の名簿である。こればかりは個人情報なので燃えるごみなどに出すなんていうことは出来ない。そこで、シュレッダーの出番。
裁断しながらその名簿を見ていく。短期間の接触だった名前がほとんどで、もう名前の記憶もなく、ましてや顔なんていうものは浮かんでこない。しかし、中には公式の接触が終わってもなんらかの連絡が続いた人もあり、その人たちの名前、顔が懐かしく浮かんでくる。
しかし、こうした人の記録も、他の記憶に残っていない人と同様にシュレッダーの中に消えていく。
なんとなく、自分の記憶をも刑しているような錯覚に陥る。いや、錯覚ではなくて、既に消えている記憶の念押しをしているといったところなのかもしれない。
いずれ、本当に記憶がなくなるときが来るかもしれない。なんらかの書類があったとしても、それが何七日さえ覚えていないということになるのかもしれないが、いましていることは、その予行演習なのかもしれない。
過去からいろいろ裁断はしてきているが、今回は私の最後の公の仕事の記録である。名簿。数百人という人間の名簿である。こればかりは個人情報なので燃えるごみなどに出すなんていうことは出来ない。そこで、シュレッダーの出番。
裁断しながらその名簿を見ていく。短期間の接触だった名前がほとんどで、もう名前の記憶もなく、ましてや顔なんていうものは浮かんでこない。しかし、中には公式の接触が終わってもなんらかの連絡が続いた人もあり、その人たちの名前、顔が懐かしく浮かんでくる。
しかし、こうした人の記録も、他の記憶に残っていない人と同様にシュレッダーの中に消えていく。
なんとなく、自分の記憶をも刑しているような錯覚に陥る。いや、錯覚ではなくて、既に消えている記憶の念押しをしているといったところなのかもしれない。
いずれ、本当に記憶がなくなるときが来るかもしれない。なんらかの書類があったとしても、それが何七日さえ覚えていないということになるのかもしれないが、いましていることは、その予行演習なのかもしれない。