2008年10月06日
ねじれビルのバリアフリー案内
今日は雨の中のバス地下鉄と歩行の移動。
雨の月曜日は、バスが必ず遅れる。今日は遅れに送れて、時刻表では後に来るバスが先に来るほどの遅れよう。おかげで地下鉄は2本後になった。
そして、次の乗換えまでの時間調整が必要なので、地下街を違ったコースで歩いた。といっても最終的には『ねじれビル』の地下を通ることになった。
このねじれビル、デザイン専門学校などが入っていながら、バリアフリーなどの案内に対してのデザインって考慮されているのかな? 壁にはいくつかの専門学校の名前をい規模実みたいな標語のようなものが書かれているけど、階段があって、車椅子は通れない。ではどこかにエレベータがあるだろうと、探してみたらけべのくぼみに所にエレベータの入り口がある。しかし、案内板がどこに?????
あるとしても、私が気付かないということは、それだけ醜いとことにあるのだろう。出れは建築をした設計(意匠関連)者が、それから施主が何を考えているかにかかってくるだろう。
もともと、このビルが好きでない私だから、こんな気持ちになるのだろうか?
バリアフリーは何のためにするのか?
それを利用する人の目線で考えなくては。
雨の月曜日は、バスが必ず遅れる。今日は遅れに送れて、時刻表では後に来るバスが先に来るほどの遅れよう。おかげで地下鉄は2本後になった。
そして、次の乗換えまでの時間調整が必要なので、地下街を違ったコースで歩いた。といっても最終的には『ねじれビル』の地下を通ることになった。
このねじれビル、デザイン専門学校などが入っていながら、バリアフリーなどの案内に対してのデザインって考慮されているのかな? 壁にはいくつかの専門学校の名前をい規模実みたいな標語のようなものが書かれているけど、階段があって、車椅子は通れない。ではどこかにエレベータがあるだろうと、探してみたらけべのくぼみに所にエレベータの入り口がある。しかし、案内板がどこに?????
あるとしても、私が気付かないということは、それだけ醜いとことにあるのだろう。出れは建築をした設計(意匠関連)者が、それから施主が何を考えているかにかかってくるだろう。
もともと、このビルが好きでない私だから、こんな気持ちになるのだろうか?
バリアフリーは何のためにするのか?
それを利用する人の目線で考えなくては。