2008年11月30日
京都・日野 法界寺 2
法界寺は、来るようになってもう10年近くなるだろうか?浄土真宗の法要で詠まれる『正信偈』に気づき、なぜ読まれるのか、何を親鸞が言おうとしてのかに興味を持ちおはじめ、親鸞の歩いたところをたずねていく中でであった寺であり、阿弥陀仏である。
初めて訪れたときは、確かご住職の奥さんか、お母さんが受付におられたと思う。そして、ご住職の説明を聞いたと記憶しているが、もう遠くなった記憶である。
それから毎年、最低1回、大体春と秋に訪れることが多い。何をするということもなく、ただただ目の前に鎮座する阿弥陀如来にに魅せられただけのことである。などと軽々しく言うのはどうかと自分でも思うが。
ただ、数年前の秋に来たときに時期が本当によかったのかすばらしい情景を見せてもらった。しかし、今年は時期が悪かったのか、う~~というばかりである。(今年は心がけが悪かったと阿弥陀さんがいっている・・・ とでも?)
それがそれが、今年は・・・
池にハスが植えられており、前の写真のように湖面に映るもが見えないのです。
うぅ~~ これも弥陀の計らいにて・・・・ 南無阿弥陀仏
初めて訪れたときは、確かご住職の奥さんか、お母さんが受付におられたと思う。そして、ご住職の説明を聞いたと記憶しているが、もう遠くなった記憶である。
それから毎年、最低1回、大体春と秋に訪れることが多い。何をするということもなく、ただただ目の前に鎮座する阿弥陀如来にに魅せられただけのことである。などと軽々しく言うのはどうかと自分でも思うが。
ただ、数年前の秋に来たときに時期が本当によかったのかすばらしい情景を見せてもらった。しかし、今年は時期が悪かったのか、う~~というばかりである。(今年は心がけが悪かったと阿弥陀さんがいっている・・・ とでも?)
この写真は、昨年にも紹介したけれどとったのはモット前のはず。
それがそれが、今年は・・・
池にハスが植えられており、前の写真のように湖面に映るもが見えないのです。
うぅ~~ これも弥陀の計らいにて・・・・ 南無阿弥陀仏