2008年12月12日
五木寛之・親鸞 磯長へ
長いこと、中日新聞連載の五木・親鸞について書きませんでした。眼の手術のこともあったのだが、ストーリーがあまりにもあまりにも・・・・・上皇に見込まれた親鸞とは。。。。
今日は、親鸞伝説の中でよく知られている、また本人の書き残したものの中に出てくるストーリーに入っていく。
慈円から、『好きなようにしていい』といわれているから(かなりシンドイなぁ)、磯長(『しなが』とよむ)に出かけることになった。これは、大阪府下の太子町にある『聖徳太子廟』があるところ。今は叡福寺という寺が前にあり、その北に太子廟(宮内庁管理)が有る。
親鸞は、ここで『余命十年』言う夢告を受けたという、有名なところである。これをはずすと親鸞の思想の根底を見ることができなくなるので、どうしてもストーリーに入れなくてはならないのだろう。
逆に言うと、親鸞をただ単なる宗教者としての話を書くだけではなさそうと思わせているのだが。
どんな夢の話を書いてもらえるのか、楽しみにしようと。。。。
今日は、親鸞伝説の中でよく知られている、また本人の書き残したものの中に出てくるストーリーに入っていく。
慈円から、『好きなようにしていい』といわれているから(かなりシンドイなぁ)、磯長(『しなが』とよむ)に出かけることになった。これは、大阪府下の太子町にある『聖徳太子廟』があるところ。今は叡福寺という寺が前にあり、その北に太子廟(宮内庁管理)が有る。
親鸞は、ここで『余命十年』言う夢告を受けたという、有名なところである。これをはずすと親鸞の思想の根底を見ることができなくなるので、どうしてもストーリーに入れなくてはならないのだろう。
逆に言うと、親鸞をただ単なる宗教者としての話を書くだけではなさそうと思わせているのだが。
どんな夢の話を書いてもらえるのか、楽しみにしようと。。。。