2008年12月14日
ん?五木寛之・親鸞 磯長ヘの旅
親鸞が白川房(京)を出て、磯長(大阪・河内・太子廟)に向かっている。
その記述の中に
(あれが二上山か・・・)
その向こうは大和の国だ。
と書かれている。
ん?
親鸞は、どこから太子廟に?この書き方からすると、大阪・太子町側から二上山を見ていることになる。ということは、親鸞は、京から大阪(難波)に向かって川下りして、四天王寺を経由して南下したのだろうか?
多くの場合は、京都から奈良街道を南下して奈良に入り、東大寺、法隆寺などを経由して南下、そして大和高田あたりで西に向きを変え、当麻寺経由で竹内峠に入る道を通るのが、太子関連の道かと思ったけど、五木氏は四天王寺を経由させたと取るべきなのだろうか。
四天王寺も聖徳太子ゆかりではあるけれど、なんとなくしっくりしないなぁ。。。。
**
ひょっとして、太子廟の夢告を受けた後に、竹内峠越えをするのかな?そして、法隆寺、奈良と・・・・?
**
実は、私は数年前に、大阪・太子町側から竹内峠を越えて、当麻寺、法隆寺経由で奈良に入るコースを車で走っている。結構な距離があったと記憶している。
さて、親鸞はほんとうにどこをとおったのでしょう?
その記述の中に
(あれが二上山か・・・)
その向こうは大和の国だ。
と書かれている。
ん?
親鸞は、どこから太子廟に?この書き方からすると、大阪・太子町側から二上山を見ていることになる。ということは、親鸞は、京から大阪(難波)に向かって川下りして、四天王寺を経由して南下したのだろうか?
多くの場合は、京都から奈良街道を南下して奈良に入り、東大寺、法隆寺などを経由して南下、そして大和高田あたりで西に向きを変え、当麻寺経由で竹内峠に入る道を通るのが、太子関連の道かと思ったけど、五木氏は四天王寺を経由させたと取るべきなのだろうか。
四天王寺も聖徳太子ゆかりではあるけれど、なんとなくしっくりしないなぁ。。。。
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ひょっとして、太子廟の夢告を受けた後に、竹内峠越えをするのかな?そして、法隆寺、奈良と・・・・?
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実は、私は数年前に、大阪・太子町側から竹内峠を越えて、当麻寺、法隆寺経由で奈良に入るコースを車で走っている。結構な距離があったと記憶している。
さて、親鸞はほんとうにどこをとおったのでしょう?