2009年02月10日

五木寛之・親鸞 将来の妻と出会う

 少し前から親鸞は、頂法寺六角堂に毎日比叡山から通っていることになっている。現実問題これを100日間(親鸞は95日で終わるはずだが)実行するとなると、命がけで、実際は無理ではないなぁ?と、私は雲母坂(きららざか)を歩いて思ったものだが。

 この参詣で、数日前から一人の女性と話をするようになった。多分に将来の奥さん。恵信尼との出会いだろうとおもっていたら、今日になって『越後の三善』という家の名前が出てきた。となるとナンやら珍しく世に一般的に言われている筋に近い登場人物になってきた。

 ただ、小説を読む限り、年の差がさほどあるようには受け取れないのだ。親鸞29歳であるが、このときの恵信尼は19歳のはず。女のほうがいくら先を行くとはいえ・・・
 五木氏は、親鸞聖人正明伝を無視したのか、赤山明神の不思議な女人との出会いが登場しなかった。これからか?
 この赤山明神の出来事から3年であろか、結婚するかなのだが。

 結婚=妻帯は、法然と九条兼実のはかりごとということになっている面もあるのだが、今日のストーリーでは恵信尼=紫野はその九条家で働いていることになっている。となると、このまま先に進むのだが・・・
 しかし、名前が『紫野』とは・・・ 大徳寺近辺、堀川通と北大路の交差点近辺の土地の名前。どこから出てきたのか、恵信尼の名前が・・

 サテ、一つ問題が残った。親鸞には『玉日姫』という、五木親鸞にはまだ登場していない、九条家ゆかりの女性が過去のいろんな書物に登場するのだが、五木氏はどう処理をするのだろうか?
 このまま無視かなぁ????

 玉日さんは、東福寺(九条ゆかりの寺)の片隅のゆかりの寺(今は片隅なんてとても思えない)、西岸寺に墓もあるし、栃木県にも墓があるんだよねぇ。。。 恵信尼の墓といわれているのは現在は上越市になった板倉町の現『えしんの里』の近くといわれているけど。。。

 まぁ、今日のストーリーは、私の思いとちょっとだけ同じところがあったので、『へぇ~』と思った。
 五木・親鸞で、恵信尼は親鸞が九条家に来たときの印象を語るが、親鸞には記憶がない。私は、少し違って、もうその当時(親鸞が九条家に通った頃)から、お互いに知っており、付き合いがあったと思っているが。
 まさか、私の書いた小説『親鸞と真佛』みたいに、この後恵信尼が越後に帰って、親鸞は玉日と結婚なんてことになるのか? なら、勘弁してくれよ。そのストーリーは、まだ誰も書いてないことだぞ。

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