2009年03月08日
五木寛之・親鸞 吉水に入る
五木寛之・親鸞が、今日法然上人のいる吉水に入った。
六角堂からどこをどう歩いていったのやら。
吉水の法然上人がいたといわれるところは、円山公園の東、今の安養寺だといわれている。
今の時代に六角堂から歩くとすると、六角通をまっすぐ東に行くいって、寺町通もしくは新京極を南に下って、四条通で東にとってまっすぐ八坂神社に。そして八坂神社の北側を東に。多くぃ対そんな方向。どのくらいかかるかな?30分くらい、せいぜい40分か。早足ならそんなにかからないも知れない。
しかし、鎌倉時代の四条通はどこにあったのやら。三条通は昔のままと聞くが五条通はかなり違うのはわかっている。地図で見る限り三条通と五条(現在の松原通)の中間が四条とおりだからこれでいいのかな?それなら、時間的にはそんなに狂いはないだろう。
ただ、法然上人のいたところは、吉水のほかに『黒谷』現在の金戒光明寺ともいわれている。こことなると、ちょいと北に行かねばならない。もう一つ、近年は紅葉で有名になってしまった法然院という話も。ここだと、もう銀閣寺の近くだ。
昨日だったか、衣を脱いで『僧ではなくなった』ようなことがかれていたが、後に法然門下の僧の名が並ぶところに『僧綽空』と出てくるところから行くと、僧籍はまだ残っていたはずなんだよなぁ。。
まぁ、気持ちの上での話しなのかと解釈せんといかんのか・・・
浄土宗も、法然常任の生前と没後ではかなり違うという話も聞いている。どんな話になるんでしょう??紫野は、どこに行ったのかな?彼女に引っ張られるようにして吉水に行く親鸞だが、『自分の気持ちではなく・・・』と他力をいいたいのだろうなぁ。。。。。
五木さんは、最近『他力』の話をあちこちでしているようだけど、私とはちょっと違っているみたい。ちょっとではないかも。
六角堂からどこをどう歩いていったのやら。
吉水の法然上人がいたといわれるところは、円山公園の東、今の安養寺だといわれている。
今の時代に六角堂から歩くとすると、六角通をまっすぐ東に行くいって、寺町通もしくは新京極を南に下って、四条通で東にとってまっすぐ八坂神社に。そして八坂神社の北側を東に。多くぃ対そんな方向。どのくらいかかるかな?30分くらい、せいぜい40分か。早足ならそんなにかからないも知れない。
しかし、鎌倉時代の四条通はどこにあったのやら。三条通は昔のままと聞くが五条通はかなり違うのはわかっている。地図で見る限り三条通と五条(現在の松原通)の中間が四条とおりだからこれでいいのかな?それなら、時間的にはそんなに狂いはないだろう。
ただ、法然上人のいたところは、吉水のほかに『黒谷』現在の金戒光明寺ともいわれている。こことなると、ちょいと北に行かねばならない。もう一つ、近年は紅葉で有名になってしまった法然院という話も。ここだと、もう銀閣寺の近くだ。
昨日だったか、衣を脱いで『僧ではなくなった』ようなことがかれていたが、後に法然門下の僧の名が並ぶところに『僧綽空』と出てくるところから行くと、僧籍はまだ残っていたはずなんだよなぁ。。
まぁ、気持ちの上での話しなのかと解釈せんといかんのか・・・
浄土宗も、法然常任の生前と没後ではかなり違うという話も聞いている。どんな話になるんでしょう??紫野は、どこに行ったのかな?彼女に引っ張られるようにして吉水に行く親鸞だが、『自分の気持ちではなく・・・』と他力をいいたいのだろうなぁ。。。。。
五木さんは、最近『他力』の話をあちこちでしているようだけど、私とはちょっと違っているみたい。ちょっとではないかも。