2009年04月01日
名古屋を歩く・八角堂
今日は、朝はちょっと寒かったけど、地下鉄を降りてから歩いたら、汗をかくほど暑くなって、午前中はなんだかあったかかったなぁ。だけど、昼くらいから日が翳って、風も出てきて結構冷たかった。
実家の中で仕事をしていたのだが、なんだか気分が欲求不満といった感じで、いつもよりも40分早く出てきた。そして、歩き始めた。江川線まで東に行き、そして水主町から高速の下を北に向かう。そして、高速の分岐のところで江川線の東側に渡った。
これには目的があったのだ。昔々、この江川線は市電が通っていた、そして、水主町と柳橋の間に『八角堂』という停留所があったはず。それを思い出したので、何かがあったか、有るだろうと思ったのだ。
少し北に行くと広い駐車場の北側にキンキラキンに光る擬宝珠が見える。そしてそこがお寺であることがわかった。ここを歩くのは初めてのこと。お寺自体がなんというものなのかもしれないし、これが八角堂なのかも知らない。ただ、八角堂というからにはお寺では以下という思いだけだった。
寺は、いつも開いているわけではなさそう。開いている日でも午後3時までのようだ。
門の奥の擬宝珠葉、勢が低い建物だが、形は八角堂のようだ。よく見えないのでなんともいえないが、屋根の形は八角堂、夢殿と同じ感じがするから、ここが探していた八角堂なのだろうと。
門の前の右に『八角堂』とかかれてものがある。50年以上かかってめぐり合えたといった感じかな?
その左に石柱があり、『藩学聖堂』地下かれている。江戸時代尾張藩のある種の学校でもあったのだろうか?
名古屋でも歩くとこうしたもの二でうことも出来るのだと。。。。いつもは京都ばかりを歩いていたが、こうして名古屋を歩くのもいいことかもしれない。
参考HP
http://www.aruku88.net/7fuku/09nagoya/tera/06/index2.html
実家の中で仕事をしていたのだが、なんだか気分が欲求不満といった感じで、いつもよりも40分早く出てきた。そして、歩き始めた。江川線まで東に行き、そして水主町から高速の下を北に向かう。そして、高速の分岐のところで江川線の東側に渡った。
これには目的があったのだ。昔々、この江川線は市電が通っていた、そして、水主町と柳橋の間に『八角堂』という停留所があったはず。それを思い出したので、何かがあったか、有るだろうと思ったのだ。
少し北に行くと広い駐車場の北側にキンキラキンに光る擬宝珠が見える。そしてそこがお寺であることがわかった。ここを歩くのは初めてのこと。お寺自体がなんというものなのかもしれないし、これが八角堂なのかも知らない。ただ、八角堂というからにはお寺では以下という思いだけだった。
寺は、いつも開いているわけではなさそう。開いている日でも午後3時までのようだ。
門の奥の擬宝珠葉、勢が低い建物だが、形は八角堂のようだ。よく見えないのでなんともいえないが、屋根の形は八角堂、夢殿と同じ感じがするから、ここが探していた八角堂なのだろうと。
門の前の右に『八角堂』とかかれてものがある。50年以上かかってめぐり合えたといった感じかな?
その左に石柱があり、『藩学聖堂』地下かれている。江戸時代尾張藩のある種の学校でもあったのだろうか?
名古屋でも歩くとこうしたもの二でうことも出来るのだと。。。。いつもは京都ばかりを歩いていたが、こうして名古屋を歩くのもいいことかもしれない。
参考HP
http://www.aruku88.net/7fuku/09nagoya/tera/06/index2.html