2009年05月23日
地下鉄工事 と 月命日の墓参り
毎月欠かさず(ウソ、時にはどうしてもいけないときある)行っている墓参り。
この月は、周りの景色が中途半端。墓地の中に花が少ない。それに、墓参りに来る人も少ないのか、周りのお墓の花の荒れ方がひどい。来月は下手をすると雨の中かな??
雑草がかなり生えている。雑草でなくても、供えた花の種が落ちて、それば育ってきているものも多い。どっちにしてもは中のかの余分な草は抜かなくては。といいつつ、これも殺生だよなぁ、と腹の中で。
いつもいつも思うこと。植物はまるで生き物ではないみたい。
精進料理なんているのがその典型で、動物性のものを使わず植物による料理。これでは動物に命があって、植物に命がないと言うことになる。植物だって立派に命があるのに。誰が精進料理なんて言い出したのだ???
動物だろうと、植物だろうと、命があるのだから、それをいただくときにはどちらも感謝しなくては。
草をむしるのも、命を刈ることになる。やはり殺生です。これも悪なのだろう。津町これが浄土教に言う「悪」、そして私は悪人となる。親鸞の言う「善人もって往生す、況んや悪人おや」にかかっていくのか? ちょっと意味が違うようだが。
墓参りの行き帰り、相生山から徳重に掛けての地下鉄「談合線」の工事の中を走る。かなり長いこと工事をしているのに、なかなか終わらない。もういい加減しろと言いたくもなる。
オープンカットならいざ知らず、どうも金のかかるシールド工事をしているみたいだからオープン化とではない。緑の給水塔の近くは仮名値深い地下になるからシールドにしているのだろうが、それならそれなりの工事期間で何とかしてほしいもの。ただ、駅舎だけはオープンでしているようで、これがネックなのかな?
それにしても、何故オープンカットでいいところをシールドにしたのだろう?ただでさえ赤字だと言っているのに。
そうそう、この談合線は、道路の下そのものではないかもしれない。住宅のかなり深いところをシールドが掘り進んでいるかもね。道路の下だとカーブがきついから住宅の下を掘らざるを得ない、それがシールになった可能性も。もしそうなら。誰の家の下をくぐっているのかな?
この月は、周りの景色が中途半端。墓地の中に花が少ない。それに、墓参りに来る人も少ないのか、周りのお墓の花の荒れ方がひどい。来月は下手をすると雨の中かな??
雑草がかなり生えている。雑草でなくても、供えた花の種が落ちて、それば育ってきているものも多い。どっちにしてもは中のかの余分な草は抜かなくては。といいつつ、これも殺生だよなぁ、と腹の中で。
いつもいつも思うこと。植物はまるで生き物ではないみたい。
精進料理なんているのがその典型で、動物性のものを使わず植物による料理。これでは動物に命があって、植物に命がないと言うことになる。植物だって立派に命があるのに。誰が精進料理なんて言い出したのだ???
動物だろうと、植物だろうと、命があるのだから、それをいただくときにはどちらも感謝しなくては。
草をむしるのも、命を刈ることになる。やはり殺生です。これも悪なのだろう。津町これが浄土教に言う「悪」、そして私は悪人となる。親鸞の言う「善人もって往生す、況んや悪人おや」にかかっていくのか? ちょっと意味が違うようだが。
墓参りの行き帰り、相生山から徳重に掛けての地下鉄「談合線」の工事の中を走る。かなり長いこと工事をしているのに、なかなか終わらない。もういい加減しろと言いたくもなる。
オープンカットならいざ知らず、どうも金のかかるシールド工事をしているみたいだからオープン化とではない。緑の給水塔の近くは仮名値深い地下になるからシールドにしているのだろうが、それならそれなりの工事期間で何とかしてほしいもの。ただ、駅舎だけはオープンでしているようで、これがネックなのかな?
それにしても、何故オープンカットでいいところをシールドにしたのだろう?ただでさえ赤字だと言っているのに。
そうそう、この談合線は、道路の下そのものではないかもしれない。住宅のかなり深いところをシールドが掘り進んでいるかもね。道路の下だとカーブがきついから住宅の下を掘らざるを得ない、それがシールになった可能性も。もしそうなら。誰の家の下をくぐっているのかな?