2009年09月01日

五木寛之 親鸞 終了

 1年間の連載だったのだ・・・

 8月31日付をもって終了。何と最後の章は4回分で終わったのだ。ん????

 京都を発ってどんな旅をするのかと思いきや、いきなり直江津の居多ヶ浜に上陸となった。親不知子不知をどうやって越えたのでしょう?
 最後は船であがったにしても、あの難所を念仏を唱えながら歩いたのか、それとも船で行ったのか?

 さて、急遽終わった感じがする最後だが、恵信の妹はどうしたのだろう?結局、遵西の首を抱えていなくなってそのままになってしまった。何故こんな事をする必要があったのか?だいたい妹・鹿野の登場自体疑問なのだが。

 最後の最後の疑問。
 上陸して、この先の生活の不安を話しているが、ん??? 恵信が同行しているよね。行き先は恵信の実家、三善の家のあるところ。三善は当時、その国府のお役人と言われているのだが、何かをれを無視するかの不安。それに、何故不安を?阿弥陀仏に帰依しているからには、親鸞の思いをこれまでのストーリーからの思いであがくとすれば、現世往生とならないかな?と言う考えに立てば、不安を書くのはどうかなぁ??
 
 まぁ、とにかく終わってしまった。あっちこっち話が飛んで、疑問をいっぱい残してくれたが、とにかく終わった。しかし、この話が、親鸞の思想形成の筋道と思われるとチョット抵抗する。親鸞の思想形成は、この先の上越(旧直江津)での海に接した生活の中に多くあると思っているし、多くの人がそう思っている部分でもある。
 親鸞の書き残したものには、「海」という文字がたくさん出てくるが、それは上越での生活の中で海に接することが多かったからだろうと言われている。京では体験することの出来なかったものである。

 そして、ここで多くの子供の恵まれ、理由は分からないが赦免後に関東に移住している。こうしたところに本当の親鸞の思想形成の根幹があると思っている私である。
 確かに叡山での20年、法然門下での数年で阿弥陀に対する帰依というものは出来ていただろうが、それを多くの人にもっと深く、わかりやすく説いて行くには、越後での生活は欠かせないものだったろうと思う。その前に話が終わってしまったので、肝心要が無くて・・・・
 何となく、吉川英治の「親鸞」と筋書きは全くと言っていいほど違うとしても、同じ範囲を追っかけて終わったように思えなくもない。残念。越えて欲しかったのに。

 書いていると、私自身の親鸞への思い入れをつらつら書き続けそうな気がするので、止め。

**
追記
小説の最後に 夕日の話が書いてある。
 この私のブログのヘッドの写真が、その居多ヶ浜の夕日です。
 全景をその下に。。


 そのときの記事 はこちら

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