2009年09月20日
官僚たちの夏 最終回
昭和四十年1965年 大学三年のとき。
ドラマの首相は須藤恵作。実際の世は佐藤栄作かな?
この辺り、景気がいいよう書かれているけど、実情はしんどかったと思う。仕送りしてもらうのが大変だったから。金がなくなって、下宿のおばちゃんに借金したこと何回もある。4畳半6500円(自炊です)だった。
この年の夏、京都奈良の修学旅行の後、西日本旅行をしたかったが、資金不足で断念。宿は知り合いのところを回る予定していたけど、それでも資金なく・・・・
クラブの合宿は、旅行に行けなかったので、東京に戻った後で2日参加した。(記憶が曖昧だぁ。。これは四年の時かな?)
まだ、当時は三年の就職活動は本格的ではなかった。しかし、就職難になっていることはまだ分かっていなかった。翌年の募集案内は少なかった。
この三年の時の記憶があまりない。理由が分からない。今いろいろ思い出そうとしているのだが・・・
あぁ。そうか、思い出したくない思い出があったのだ。出てきてしまった。あぁ~ぁいやな事をもいだした。一番いいように見えて、一番精神的にきついときだったのだ。
そういえば、この年の秋、大学祭をサボって、夜行に飛び乗って大阪に遊びに行ったのだ。。。。
ドラマの話は、また繊維業界の不況の前触れ。今年の総選挙で民主が政権を取ってこのjだいに佐藤政権がした「核の密約」の時代でもあるらしい。
ドラマは、エンディングの画像が流れている。浅間山荘、タケノコ族。などなど。最終回の時よりも後の時代だが、大きく世の中、事例が動く間ぶれの時代だったのだろう。
昭和40年は、60年安保と70年安保の真ん中、平穏だったと思うけど実は裏では大変だったのだろうなぁ。70年安保に向けての学生運動が嗅げwきかしていく途中。私は、その過激になる前に卒業した。
今の世の中の動きを、40年経ってどれだけの人がどれだけきちんと記憶しているか?本当は記憶する必要なんてないのだが、何故か記憶している人もいる。私のように、消してしまいたい記憶をドラマを見ることでよみがえらせてしまうこともあるのだろう。
いいドラマを見てきたものの、最後の最後で、私自身の事で・・・・・・・
ドラマの首相は須藤恵作。実際の世は佐藤栄作かな?
この辺り、景気がいいよう書かれているけど、実情はしんどかったと思う。仕送りしてもらうのが大変だったから。金がなくなって、下宿のおばちゃんに借金したこと何回もある。4畳半6500円(自炊です)だった。
この年の夏、京都奈良の修学旅行の後、西日本旅行をしたかったが、資金不足で断念。宿は知り合いのところを回る予定していたけど、それでも資金なく・・・・
クラブの合宿は、旅行に行けなかったので、東京に戻った後で2日参加した。(記憶が曖昧だぁ。。これは四年の時かな?)
まだ、当時は三年の就職活動は本格的ではなかった。しかし、就職難になっていることはまだ分かっていなかった。翌年の募集案内は少なかった。
この三年の時の記憶があまりない。理由が分からない。今いろいろ思い出そうとしているのだが・・・
あぁ。そうか、思い出したくない思い出があったのだ。出てきてしまった。あぁ~ぁいやな事をもいだした。一番いいように見えて、一番精神的にきついときだったのだ。
そういえば、この年の秋、大学祭をサボって、夜行に飛び乗って大阪に遊びに行ったのだ。。。。
ドラマの話は、また繊維業界の不況の前触れ。今年の総選挙で民主が政権を取ってこのjだいに佐藤政権がした「核の密約」の時代でもあるらしい。
ドラマは、エンディングの画像が流れている。浅間山荘、タケノコ族。などなど。最終回の時よりも後の時代だが、大きく世の中、事例が動く間ぶれの時代だったのだろう。
昭和40年は、60年安保と70年安保の真ん中、平穏だったと思うけど実は裏では大変だったのだろうなぁ。70年安保に向けての学生運動が嗅げwきかしていく途中。私は、その過激になる前に卒業した。
今の世の中の動きを、40年経ってどれだけの人がどれだけきちんと記憶しているか?本当は記憶する必要なんてないのだが、何故か記憶している人もいる。私のように、消してしまいたい記憶をドラマを見ることでよみがえらせてしまうこともあるのだろう。
いいドラマを見てきたものの、最後の最後で、私自身の事で・・・・・・・