2010年10月07日
名古屋の大仏 2 地下鉄・本山駅~桃源寺
10月6日 かねてよりみたいと思っていた名古屋3大仏の一つ、桃源寺の大仏を見に行くことにした。
実家からの帰りなので、名古屋駅から地下鉄に乗って本山で降りて、四谷通りに出る。と書くと簡単なのだが、何せ本山で乗り換えたことがあるのは2年前。それ以外は降りたことなんてない。
東山線で降りて改札まで来たのはいいが、その先がわからない。駅の中に桃源寺はおろか四谷通り方面への出口案内が見当たらない。書いてあるのは出口番号だけ。ハタと困った。。。
いたしかたないので改札の駅員さんに聞いたら、名城線の乗り換えの方にったん降りて、それから地上に出るんだとのこと。出口案内に『四谷通り方面』くらい欲しいなぁ。。。。
エスカレータで降りての乗り換えの方に向かった。左に行くとホームに、直進すると出口とある。出口方面に行くとエスカレータがあるのだが、狭いなぁ。。。私よりお年を召した女性がいたが、私と同じように右往左往してやっとたどり着いたとのこと。もっと親切な案内がほしい。
狭いエスカレータを折り返しの乗り換えをしたうえで地上に出た。本山の交差点からかなり南の方でちょっと上ったところに出た。
さて、行き先の桃源寺は、四谷通りを名大方面に行ったところは駅の地図で確認をした。と、その記憶で坂を名大の方に上っていく。少し上がったところに桃源寺参拝者用駐車場がある。駐車場はいいが、寺の入り口がどっちなのか書いてないよぉ。ここも不親切だなぁ。。
寺の大きさも入口もなにもわからないから、『どないしょ』。ここは人に聞くのが一番と、道路わきでお立ちの女性に聞いてみた。あらぁ。。ご存じないのだ。いたしかたないので、そのまま坂を上っていくことにした。
高い石垣にそって登っていく(この石垣が桃源寺らしいと後でわかったが)と、のぼり旗が見えたのだが。。。。のぼり旗は別なもの。 そののぼり旗の少し手前に石柱が。「東山弁天」と彫られている。弁天さんもあると聞いていたからここがそうなのだろう。その石柱の後ろに、石柱が二本あり左の石柱に「桃源寺」の文字を見ることができた。
いつもは車で走り抜けてしまうところで、ここにこうして入口があるとはつゆと知らなかった。名前が有名である割には場所などを案内してくれるものに運悪く出会っていなかったからだろう。
右に名古屋市の由緒書がある。
この寺は織田家の所縁で、名前の由来が織田信秀の法名からきているとのことで、末森(末盛)が織田の城のあったところだから、それに関係しているのかなぁ???
**「法名」と書かれているが、現代では法名は浄土真宗系で使われているが、これは真宗では『戒』を受けないからで、書かれたとおりだと「信秀」は回を受けていないということか?教育委員会ここまで調べたか?(教育委員会もいい加減なところが多いからなぁ)
石柱の間の参道を入っていく。右の石垣の上にはお墓がいっぱいあるよ。名古屋ということろは戦争に負けてから後に市内のお墓の大部分を平和公園にまとめた。(その前に八事にも。そして今は緑区にも) だから、市内にお墓が残るところは少ないが、ここはこれだけあるとはちょっと驚き。
参道をまっすぐ進むとうっそうとした木の中に石の門がみえる。なんとなく、いつもの寺の雰囲気ではないので戸惑い。(宗派が臨済宗だから?)
ここの緑の中にいると夏はかなり涼しいのではないか?真夏に来てもいいように思うけど、私は無理かも。手入れが行き届いていないから、何が出るやら、私には恐怖。
実家からの帰りなので、名古屋駅から地下鉄に乗って本山で降りて、四谷通りに出る。と書くと簡単なのだが、何せ本山で乗り換えたことがあるのは2年前。それ以外は降りたことなんてない。
東山線で降りて改札まで来たのはいいが、その先がわからない。駅の中に桃源寺はおろか四谷通り方面への出口案内が見当たらない。書いてあるのは出口番号だけ。ハタと困った。。。
いたしかたないので改札の駅員さんに聞いたら、名城線の乗り換えの方にったん降りて、それから地上に出るんだとのこと。出口案内に『四谷通り方面』くらい欲しいなぁ。。。。
エスカレータで降りての乗り換えの方に向かった。左に行くとホームに、直進すると出口とある。出口方面に行くとエスカレータがあるのだが、狭いなぁ。。。私よりお年を召した女性がいたが、私と同じように右往左往してやっとたどり着いたとのこと。もっと親切な案内がほしい。
狭いエスカレータを折り返しの乗り換えをしたうえで地上に出た。本山の交差点からかなり南の方でちょっと上ったところに出た。
さて、行き先の桃源寺は、四谷通りを名大方面に行ったところは駅の地図で確認をした。と、その記憶で坂を名大の方に上っていく。少し上がったところに桃源寺参拝者用駐車場がある。駐車場はいいが、寺の入り口がどっちなのか書いてないよぉ。ここも不親切だなぁ。。
寺の大きさも入口もなにもわからないから、『どないしょ』。ここは人に聞くのが一番と、道路わきでお立ちの女性に聞いてみた。あらぁ。。ご存じないのだ。いたしかたないので、そのまま坂を上っていくことにした。
高い石垣にそって登っていく(この石垣が桃源寺らしいと後でわかったが)と、のぼり旗が見えたのだが。。。。のぼり旗は別なもの。 そののぼり旗の少し手前に石柱が。「東山弁天」と彫られている。弁天さんもあると聞いていたからここがそうなのだろう。その石柱の後ろに、石柱が二本あり左の石柱に「桃源寺」の文字を見ることができた。
いつもは車で走り抜けてしまうところで、ここにこうして入口があるとはつゆと知らなかった。名前が有名である割には場所などを案内してくれるものに運悪く出会っていなかったからだろう。
右に名古屋市の由緒書がある。
この寺は織田家の所縁で、名前の由来が織田信秀の法名からきているとのことで、末森(末盛)が織田の城のあったところだから、それに関係しているのかなぁ???
**「法名」と書かれているが、現代では法名は浄土真宗系で使われているが、これは真宗では『戒』を受けないからで、書かれたとおりだと「信秀」は回を受けていないということか?教育委員会ここまで調べたか?(教育委員会もいい加減なところが多いからなぁ)
石柱の間の参道を入っていく。右の石垣の上にはお墓がいっぱいあるよ。名古屋ということろは戦争に負けてから後に市内のお墓の大部分を平和公園にまとめた。(その前に八事にも。そして今は緑区にも) だから、市内にお墓が残るところは少ないが、ここはこれだけあるとはちょっと驚き。
参道をまっすぐ進むとうっそうとした木の中に石の門がみえる。なんとなく、いつもの寺の雰囲気ではないので戸惑い。(宗派が臨済宗だから?)
ここの緑の中にいると夏はかなり涼しいのではないか?真夏に来てもいいように思うけど、私は無理かも。手入れが行き届いていないから、何が出るやら、私には恐怖。