2011年01月01日
小説「親鸞」 連載再開に思う
今日元旦から、五木博之氏の小説「親鸞・激動篇』の連載が始まった。
のっけから海を見ているのだが、どこの海やら、ただ日本海とはわかっているものの。「恵信」と名前が変わって登場した「紫野」。この先どういうことになるのかなぁ?
実際問題、この日本海の海岸は、多分に上越市の直江津海岸{居多ヶ浜}を想定してるものと思うけど、実際にあの場所の700年前はいかがだったのだろうか?
親鸞が上越=越後国分に流されたのが34歳。親鸞が入滅したのが90歳として約55年前。今年は親鸞聖人750年大恩忌法要の年だから、ざっと700年前に流されたことになるのだが、聞くところによると当時と今とでは海岸の様子が異なるとのこと。いまのように、あの上陸の地の南側は隆起していのだろうか?なんでも、海岸は沈む方向になると聞いている。(沈下は、青森から富山にかけての埋没林で証明されるとか)
まぁ、この先の小説の動きをとにかく注目することにしているが、何せこの流刑地での親鸞の公式記録は存在しない。上越市のkろう行く委員会の学芸員の話では、鎌倉時代以前の公式文書は一切ないといわれている。
多分に、大地震などで焼失したのではないかと私は思っているのだが。。。そして、私が思うこととどれだけの違いを小説の中でh行元されるのかを、本当に注目している。五木さんがどれだけあの地を歩いたかが分かるかもしれない。
激動篇は、上越だけで終わる?それとも関東に移住するところ、遺児十五も書かれるのだろうか? また連載は1年になるのかな?? なんとも先が読めない連載でもある。
のっけから海を見ているのだが、どこの海やら、ただ日本海とはわかっているものの。「恵信」と名前が変わって登場した「紫野」。この先どういうことになるのかなぁ?
実際問題、この日本海の海岸は、多分に上越市の直江津海岸{居多ヶ浜}を想定してるものと思うけど、実際にあの場所の700年前はいかがだったのだろうか?
親鸞が上越=越後国分に流されたのが34歳。親鸞が入滅したのが90歳として約55年前。今年は親鸞聖人750年大恩忌法要の年だから、ざっと700年前に流されたことになるのだが、聞くところによると当時と今とでは海岸の様子が異なるとのこと。いまのように、あの上陸の地の南側は隆起していのだろうか?なんでも、海岸は沈む方向になると聞いている。(沈下は、青森から富山にかけての埋没林で証明されるとか)
まぁ、この先の小説の動きをとにかく注目することにしているが、何せこの流刑地での親鸞の公式記録は存在しない。上越市のkろう行く委員会の学芸員の話では、鎌倉時代以前の公式文書は一切ないといわれている。
多分に、大地震などで焼失したのではないかと私は思っているのだが。。。そして、私が思うこととどれだけの違いを小説の中でh行元されるのかを、本当に注目している。五木さんがどれだけあの地を歩いたかが分かるかもしれない。
激動篇は、上越だけで終わる?それとも関東に移住するところ、遺児十五も書かれるのだろうか? また連載は1年になるのかな?? なんとも先が読めない連載でもある。