2011年01月25日
小説「親鸞」 激動篇24
どうもどこかで一日サボっているらしい。。。回数が合わないのだ。(どうでもいいことだけど)
今日のところも、親鸞の人物像と周りの自分つの話。
この最後のところで、「親鸞は意地で労役をしている」というようなことが書かれている。なぜ維持なのかはあす以降のことらしいけど。
親鸞は、後々教行信証の中で流罪に関することで、特に法然上人が流罪になったり、先輩が斬首の系になったことについて、かなり激しく非難している。(ころ絵は、朝廷批判になるということで、戦争中は黒塗りされたとのこと)
そういった親鸞の真底の怒りを五木さんは書きたいのかもしれないが。。。
話は変わるけど、
流人の生活を書いたものって、公文書として残っているのだろうか?一度読んでみたいとは思っている。
昔、14年くらい前になるかな?富山県の五箇山に行ったときに国民宿舎の下に流人小屋というのがあった。(写真撮ってきたけど、当時はデジカメでなかったものなぁ。。。どこにあるか不明)牢屋の小型版で、格子状のものがはめ込まれた頑丈そうな小屋だった。(五箇山の流刑地だったということなのだろう)
では、しんらんの流された現・上越市居多ヶ浜(越後国分)の流刑小屋はどうだったのだろう?
この連載に書かれているように、伯父・日野宗業の恩恵で緩やかな生活を食っていたのだろうか??この門所の一切ない親鸞の越後生活。想像するだけで…
今日のところも、親鸞の人物像と周りの自分つの話。
この最後のところで、「親鸞は意地で労役をしている」というようなことが書かれている。なぜ維持なのかはあす以降のことらしいけど。
親鸞は、後々教行信証の中で流罪に関することで、特に法然上人が流罪になったり、先輩が斬首の系になったことについて、かなり激しく非難している。(ころ絵は、朝廷批判になるということで、戦争中は黒塗りされたとのこと)
そういった親鸞の真底の怒りを五木さんは書きたいのかもしれないが。。。
話は変わるけど、
流人の生活を書いたものって、公文書として残っているのだろうか?一度読んでみたいとは思っている。
昔、14年くらい前になるかな?富山県の五箇山に行ったときに国民宿舎の下に流人小屋というのがあった。(写真撮ってきたけど、当時はデジカメでなかったものなぁ。。。どこにあるか不明)牢屋の小型版で、格子状のものがはめ込まれた頑丈そうな小屋だった。(五箇山の流刑地だったということなのだろう)
では、しんらんの流された現・上越市居多ヶ浜(越後国分)の流刑小屋はどうだったのだろう?
この連載に書かれているように、伯父・日野宗業の恩恵で緩やかな生活を食っていたのだろうか??この門所の一切ない親鸞の越後生活。想像するだけで…