2011年08月21日

大河ドラマ『江』 第32回 江戸の鬼

 秀吉が死んで伏見城は悲しみの中?でも武将の動きが活発になっているはずなんだけど、そんな緊張感は感じられないドラマです。
 一応五奉行五大老だったかのお触れがあって・・・これは三成(萩原聖人)が不満ですわな。それにしても、五奉行の内家康(北大路欣哉)以外ドラマに顔を出さないのはいくらなんでもひどいでしょうに。だから緊張感がないんだよ。

 家康は、豊臣川に不穏な動きがあるのを察知して嫡男秀忠(向井理)に江戸に行くように命ずる。そして江もそれについていくように命ずる。江は今生の別れになるかもしれぬとばかりにあいさつ回りに出かける。
 まず言ったのが明智光秀の娘・細川ガラシャ(ミムラ)。ガラシャは薄うす江がなにをするのかを察知したようで、江の言葉『思うがままに』の決意を江に言う。次に姉の初(水川あさり)似合うが、初に引っ張られて龍子(鈴木砂羽)のところに。そして秀吉が死んで気落ちしている龍子を慰める。そして最後に姉・淀(宮沢りえ)に会う。ウソはつけぬと二人だけで話をし、江戸に立つことを打ち明ける。
 淀は、江の娘・完を呼び江に合わせる。おそらく今生の別れになるやもしれぬという配慮何だろうけど。大きく育った完を見て江は礼を言う。

 出立の前に屋敷に帰ったところに、秀忠は客を読んでいると。それは三成だった。秀忠は、光成に江戸に立つことを話し、父家康に不穏なことにならぬよう気をつけるように頼む。

 そして、江は江戸に。(ここがいくらなんでもいい加減で、突然江戸に代わるんだもんな。隠密行動だったんだからどうやって行ったかぐらい表現しろよ)
 江戸についたはいいが、江戸城には秀忠の乳母・大姥局(加賀まりこ)がいた。彼女が江にあれこれ指示をすることになる。まずは、来ているものが派手だといい、ここは豊臣ではなく徳川であり、きるもののそのようにしてもらわねばと。。

 江が、また子を宿ったらしい。これに大姥局は「男を産め」と。。。。。


 まぁこんなところが大雑把な筋。
 毎度そうだけど、秀吉が死んだんだから死の中はごった返し、政局いかんで緊張感があふれていなければいけないのに、全くそんな感じはドラマにはないね。
 三成と家康の火花が散ろうというにらみ合いもなぜか緊張を感じないし、役者が下手というのではない、ドラマの筋書きに背景や季節感もなく緊張感がないからなのだ。
 こんな緊張感のないままに関ヶ原、大阪の神と進んでいってしまうのだろうか?

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