2011年12月25日

坂の上の雲 第3部 最終回 日本海海戦

 日本海海戦、日本帝国艦隊とロシアバルチック艦隊の戦いが始まった。戦い食前の帝国艦隊の敵前横断、T字作戦の火ぶたが切られてのだ。
 
 帝国艦隊が敵前の横断が始まると、それは左折の過程が終わるまでは敵艦隊からの標的になる。それに応じたようにロシア艦隊は特に旗艦三笠を標的に砲撃を加えてきたのだが、帝国艦隊は被害を受ける前に先回を終えたのかもしれないが、帝国艦隊の攻撃が始まるとロシア艦隊の被害が起きくなり、まずはロシア艦隊旗艦スワロフを撃沈。そして2日間の戦いののち日本艦隊の勝利に終わった。

 この作戦は、秋山真之(本木雅弘)の発案だと聞く。これまでは元帥・東郷平八郎のものと思っていたのだが。この秋山発案というのは真実とすると、統合はその案を実践しただけ。へぇ・・・・・・
 しかし、奇襲は奇襲だな。前回も書いたけど、まともに当たったのでは勝てないと踏んでいたのだろう。ドラマの中で敵官庁が『統合が頭が狂ったか』といっていたが、奇襲はそう思われるのが当たり前なのかもしれない。
 奇襲にしてもゲリラ戦にしても、力のないものが強大な力をもつものを攻撃するときに使う。しかし、それはあくまでも奇襲でありゲリラでしかない。塚らでねじ伏せるということではなく、完全に勝利を収めるには、かなり運がよくないとだめということだ。
 この日本海海戦は、帝国艦隊にとってとにかく幸運だったのだろう。旅順をバルチック艦隊が使えないくしたこともその一つだが、一番の幸運はロシア帝国が日本をなめていたことかもしれない。

 いくら勝ったとはいえ、おびただしい日本の兵士が死んでいるのだ。さらには相手ロシアも多くの兵士を死なせている。戦争の一番馬鹿げているところだ。たくさん死なないとやめることができないのも戦争らしい。
 先日の中日新聞の朝刊だったかのコラムに「戦争を始めるのは難しくないが、終わらせるのは難しい」という話が書かれていた。かけ事でもそのようで、パチンコなど始めるときはいとも簡単に1000円くらいで始めるのだろうが、負けが込んでくるとどんどんつぎ込んで大負けするまで、金がなかうなるまで続けるらしい。どこかの会社の社長だか開帳高が何十億とカジノで負けたのも同じことだろう。
 最初は少し勝たせてもらって、それでいい気になってどんどんつぎ込む。そして気が付いたらどうしようもないことになっていた。日本の軍隊もその轍を踏んだのだ。

 このロシア帝国との戦争は勝つには勝ったのだが、講和条約では場合常勤を取ることができなかった。これには国民が、いや一部の人間が瀧つけたのだろうが、国内がかなり荒れたようだ。そして、もっと強い国を目指して軍備に力を注ぐことになる。つまりはちょっと勝たせてもらったので、かけ事でどんどんつぎ込むのと同じことだ。
 その最終のつけが、太平洋戦争での敗戦、広島、長崎の原爆ということになったのだと思う。今の戦争をしたない世代(多分に私たちの年代もその中に含まれている可能性が大きいが)には、戦争のむ怒たらしさ、悲惨さ、そんな思いはなく、被害妄想的にどこかの国に攻められたらという恐怖心で軍隊(自衛隊)を強くしたいいと思う向きも多いようだ。
 今、どこの国が攻めてくるんだろう?北朝鮮?中国?ロシア?本当に攻めてくるだろうか?攻めてきた国は、日本を攻撃出来はするものの、占領する前にその国が違った形で攻撃されるだろうから、おいそれとはしないだろうなぁ。。。こんなことをかくと、平和ボケといわれるだろうけど。

 対ロシアとの戦争を終えた秋山好古(阿部寛)にも母(竹下景子)が死んだという知らせが入る。
 海戦を終えて上陸して故郷にも戻った真之は、母の亡骸の前に来る。そして、義姉(松たか子)に母の面倒を見てもらったことの礼を言う。夜中に起きだして、戦争で多くの兵士をなくしたことの思い自分の気持ちを妻(石原さとみ)に語るのだが。。。 (本当にしたのか?気持ちはわからんではないが、軍人として妻に愚痴(叱られるかもしれないけど、気持ちとしてh愚痴だろう)をのだろうか?

 母は病に倒れていたのだが、戦地にいる二人の息子のことを思ってかなりストレスをためていたことだろう。ストレスをためた病人は、死を迎えるのが早いかもしれない。これも戦争のなせる災いだ。

 人間は、いつになっても争いをやめることはないだろう。しかし、命をかけて、何の罪もない人間の命をかけての喧嘩はなくなってほしいものだ。為政者に理解してもらいたいもの。

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