2012年06月10日

平清盛 第23回 叔父を斬る

 保元の乱の決着。上皇方についた者の処分が決まった。そして、それは清盛(松山ケンイチ)と源義朝(玉木宏)に言い渡された。

 清盛に言い渡されたのは、伯父・忠正(豊原功補)およびその子供たちの斬首である。清盛は『資材という方名はい』と抵抗するが信西(阿部サダヲ)から『法は祭りごとに変える』というようにも言われ、拒むなら官位のみならず財産をも没収すると言われ、泣くなくそれを飲む。
 一方義朝には父・為義(小日向文世)の斬首を言い渡される。義朝は官位を返上するので許してほしいというが、信西に『清盛はこの先の武士の世界では何をしなければ分かっているようだ』と諭される。

 為義は、義朝に源氏一門のこの先の栄華のために自分を切れという。

 忠正は、一門を前に消して棟梁を恨むなといい、刑場に向かう。
   **この首をはねる刑場に西行(藤木直人)が現れた。
 ドラマでは同時進行で為義も義朝に切られようとしている。

 清盛は刀を上げたが、切れぬと逡巡。忠正の『斬れ・・・」と。清盛は意を決して叔父、父を切る。一方義朝は父を斬ることができなかったが、一門の人間にはねられる。


 **
 信西は、これで清盛と良知ん忠誠心を試したのであろうが、これは先々心の中に恨みを残したのではいか?信西は、藤原家を潰すためにこうなるように仕組んだと。信西は涙を流していたが、何の涙か?
  どうも、このドラマの心の動きがわからなくなることがある。
 **

 清盛は、後白河帝(松田翔太)の前で関白に褒められ盃をもらう。
 **このシーンの後白河、後々武士との間の争いと夏が、そのふてぶてしさは松田翔太の細い身なれどよくあらわれているように思う。
 清盛は、涙をこらえて『身に余る光栄』と。

 清盛は、新税に『叔父を斬ったという重荷を背負って国の宝となれ』と。**何のことだ?**清盛は信西にとにかく凄い恨みをもったが、信西に「この先支える」と言われ、何かが変わったのか??


 ***
 なんかわからんドラマになってきた。
 **

 そういえば、最後の方で頼朝が顔を出して、父を支えるとかいっとる。この先平治の乱で都を追われることになるのだが。
 どうも筋書きが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 


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