2012年11月04日

平清盛 第43回 「忠と孝のはざまで」

 先週は、我が家でやんごとなきイベントがあってお休み。録画で見たけど、あまりにもばかばかしくてぇ。。。

 今回は、BSでリアルタイム見ました。

 先回のストーリーで後白河法皇(松田翔太)らの謀反が露見して。露見というよりもチクったやつがいたからなんだけど。だいたいがいつの時代にも裏切りのチクリをするやつがいる。処刑もんなんだけどねぇ。

 この謀反のせいで藤原成親が清盛(松山ケンイチ)の逆鱗に触れて死罪ということになったのだが、それを義理の弟で清盛の長男・重盛が「死罪は恨みを繰り返す」と反対した。之には清盛も従わざるを得なくて流罪ということにしたのだが、なんとその成親は流罪先の備前で食事を与えられずに餓死してしまう。
 このことがかなり重盛を傷つけることになる。

 清盛は何を思ったのか、というよりも謀反を二度と起こさぬようにと法皇を幽閉に近い状態にすることを画策するが、これをも重盛が反対する。之には清盛もいかるが、重盛はここで、法皇への忠と清盛への考の狭間で困り果てる。清盛の前でこの悩みを鳴きながら話すが、これで法王の幽閉はなくなった。

 一方で、清盛の娘・徳子が男児を出産。これがのちに安徳天皇となる子だ。平家の地を引く天皇の筋が生まれたことで有頂天になった清盛だ。


 さて、源氏の方はというと、頼朝(岡田将生)が政子の説得のおかげで自立して、関東武士の頂点に立つと宣言して、政子を妻とする。また、牛若=遮那王も母・常盤御前と会い「僧にはならず父・源義朝の仇清盛を打つ」と宣言し、尾張まで来て弁慶の手を借りて元服する。

 どっちにしても、かなりこれまでの源平の話として書かれていたり、演じられてきた筋とは違うところが多いので、戸惑うばかりだが、現実にはどうだったのかということなのだろうが・・・・平家物語にはどう書かれていたのか?(といってもこちらの作りものだしなぁ・・)

 さて、次回は重盛が死ぬのかな?

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