2012年12月02日

平清盛 第47回 宿命の敗北

 とうとうというかやっというか、頼朝(岡田将生)が兵を上げた。ドラマではなんとなく頼りない風貌だけどねぇ。しかし、上総なんとかいう対象が来た時は、毅然とした態度で接してなるほど・・・・

 それで、頼朝は鎌倉を目指すと宣言。それは、かまくらが3方を山で囲まれ攻めにくいという理由からということだ。確かにこれは先々それなりの効果を生むのだが、それは頼朝の生きた時代ではなくかなり先になるかな・・・

 平泉にいた義経(神木隆之介)が藤原秀衡(京本政樹)を説得して兵を預かり、頼朝の軍に合流。過去に一度もあったことのない兄弟の対面を果たし、そして即、富士川の合戦となった。
 
 富士川の合戦は、史実として頼朝の勝ちはわかっているが、このドラマのように平家軍は2000人くらいの兵力で源氏は2万と・・・それに平家の総大将となった清盛の孫・維盛(井之脇海)は兵の四季を立掛けるためと称して遊び女を陣に呼び入れて、なんてことはどこから出てきた事実なんだ?
 この遊び女との遊びの最中に頼朝軍が近くまで来て、鳥の騒ぐのを聞いて攻め入られたと思って敗走。このままおめおめと福原に帰ってしまった。
 これにはかなり怒った清盛で、おつきの将・伊藤忠清(藤本隆宏)を叱責する。これに対して伊藤忠清は死をもって償うが、その前に行っておきたいことがあるとこの時点での平家を痛烈に批判し『今や、平家は武士に非ず』という。

 ***
 先日私は京都で祇王寺に行ってきた。紅葉の名所でもあるのでかなりは人が来ていたが、ここで暮らした祇王などを清盛はかなりかわいがったのだが、私はこの祇王などをめでてていた時にはすでに頭は半分以上狂っていた(表現は悪いが)と思っている。
 次回は、また福原に都をという話になるのだが、だいたいそんなことをまともな頭で考えられるはずがないからだ。遷都をすればそれだけ金がかかる、その金のでどこを考えれば、金を出すところが清盛に反発することが理解できていないのだから。

 **
 さて、ドラマに戻るが、どうにも役の年齢がめちゃくちゃで、毎度書いているけど役者がかわいそうだ。特にフカキョンあたりは、かなり都市の言った孫がいるというのに、その孫と同じくらいの年齢にしか見えないのだ。之ではかの役者としての技量を壊してい待っているといわれてもしょうがないんだろう。
 あと3回になり、もう撮影は撮り終えてしまっているからどうにもならないが、あまりにもひどいと、私は嘆いている。


タグ :平清盛

この記事へのトラックバックURL

 

  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
アクセスカウンタ
プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 24人
QRコード
QRCODE