2015年08月25日
久々の郡上 04 円空ふるさと館
星宮神社に戻った。拝殿を左に見て、鳥居の左側に建物がある。これが”美並ふるさと館”でこの中に”円空ふるさと館”もあるらしい。ネットであらかじめ見てきた情報では、この中に90体以上の円空仏があると書かれていた。そしてその中には、私がこの5月の名古屋円空仏の会の展覧会に出品した模刻”善女龍王”もあると。
写真はその出品した模刻です。本当は本物を掲載したいのですが、館内は撮影禁止だし、書籍からは著作権云々で掲載ができないので、悪しからず。(ネットでも本物の写真見つけれなかったなぁ。。)
上記は”美並ふるさと館”の入場券です。この券のメインは”美並ふるさと”ですが、館の中は二つに分かれていて、入り口からまっすぐ進むと”円空ふるさと館”で入り口のホールの右手に行くと”生活資料館”となっている(らしい)。
入り口では着物をスリッパない履き替えて、引き戸(主導)を開けて中に入る左手に関所がある。私ら以外誰も来ていない。係りも顔も見えないなぁと思っていたら、奥からちょっとお年の(年齢不詳)の男性が出てきた。ここでお金を払って、円空館の方に入る。
入り口からもう本物と桃国ともつかないものが並んでいる、しかしここのは多分にも酷だろうと思う、どうにも円空さんののみとは違うように思えるから。
円空さんの年表だったかなぁ、そんな書き物があったけど全く記憶になり。私はあの本物に会いたいという気持ちが先を急かせているから。
奥に入ると階段がある。あんまり上がりたくないけど、上がらないと本物に会えないし、頑張って上がった。正面に墨で書いた円空仏の集合絵がある。かなりな書き手が書かれたものではないかと思うが、サインは”金田龍之介”なっていた。
今これを書きながら、ネットで検索したところ、金田さんは一人芝居で”円空”絵お演じていて、この円空ふるさと館”の名誉館長でもあったようだ。そんな縁での作品かなぁ。達筆というのは書道の世界だろうけど、この作品は書道ではないけど、そんな印象を持ったものです。
その絵の額の前を右に折れると展示室だ。誰もいない。円空さんがいっぱい並んでいる。そして一番奥にあの本物の”善女龍王”がおいでになるのが目に入った。気持ちは流行るが、制作年代別に並べられた円空さんの作品を順に見ていくことにした。
展示館に入ってすぐ左に折れると、円空さんの本当の初期の作品が並んでいる。へぇ〜〜〜〜こういったものを彫っておられたのですかぁ。。。と感心する。見たところ、本当に素人さんの作品で、なんとか一生懸命写実的に彫ろうとしている、円空さんとして有名なあの荒削りの面影は全くない。
時代を追っていくとだんだん作風が変わってくる。この館の書かれた年表などによると円空さんは、星宮神社を拠点にして、全国(といってもほとんどが奈良から東北海道まで)を旅して、この地区を出たり入ったりしている。その旅したところのどこかで、あの円空仏の作風の天気になったところがあるのではないかと思う。
私は、そのきっかけは、円空さんがえら圏の天川に行き、その帰りに法隆寺に行き、法隆寺の仏さんたちに出会ったことがきっかけではないかと思っているのだが、研究する学者でもないし、資料をじっくり見たわけでもないからこれはわからないが・・・
続けて書くと、ものすごく長くなりそうなので、ここで一旦止めて、本物の話はこの次に書くことにします。
写真はその出品した模刻です。本当は本物を掲載したいのですが、館内は撮影禁止だし、書籍からは著作権云々で掲載ができないので、悪しからず。(ネットでも本物の写真見つけれなかったなぁ。。)
上記は”美並ふるさと館”の入場券です。この券のメインは”美並ふるさと”ですが、館の中は二つに分かれていて、入り口からまっすぐ進むと”円空ふるさと館”で入り口のホールの右手に行くと”生活資料館”となっている(らしい)。
入り口では着物をスリッパない履き替えて、引き戸(主導)を開けて中に入る左手に関所がある。私ら以外誰も来ていない。係りも顔も見えないなぁと思っていたら、奥からちょっとお年の(年齢不詳)の男性が出てきた。ここでお金を払って、円空館の方に入る。
入り口からもう本物と桃国ともつかないものが並んでいる、しかしここのは多分にも酷だろうと思う、どうにも円空さんののみとは違うように思えるから。
円空さんの年表だったかなぁ、そんな書き物があったけど全く記憶になり。私はあの本物に会いたいという気持ちが先を急かせているから。
奥に入ると階段がある。あんまり上がりたくないけど、上がらないと本物に会えないし、頑張って上がった。正面に墨で書いた円空仏の集合絵がある。かなりな書き手が書かれたものではないかと思うが、サインは”金田龍之介”なっていた。
今これを書きながら、ネットで検索したところ、金田さんは一人芝居で”円空”絵お演じていて、この円空ふるさと館”の名誉館長でもあったようだ。そんな縁での作品かなぁ。達筆というのは書道の世界だろうけど、この作品は書道ではないけど、そんな印象を持ったものです。
その絵の額の前を右に折れると展示室だ。誰もいない。円空さんがいっぱい並んでいる。そして一番奥にあの本物の”善女龍王”がおいでになるのが目に入った。気持ちは流行るが、制作年代別に並べられた円空さんの作品を順に見ていくことにした。
展示館に入ってすぐ左に折れると、円空さんの本当の初期の作品が並んでいる。へぇ〜〜〜〜こういったものを彫っておられたのですかぁ。。。と感心する。見たところ、本当に素人さんの作品で、なんとか一生懸命写実的に彫ろうとしている、円空さんとして有名なあの荒削りの面影は全くない。
時代を追っていくとだんだん作風が変わってくる。この館の書かれた年表などによると円空さんは、星宮神社を拠点にして、全国(といってもほとんどが奈良から東北海道まで)を旅して、この地区を出たり入ったりしている。その旅したところのどこかで、あの円空仏の作風の天気になったところがあるのではないかと思う。
私は、そのきっかけは、円空さんがえら圏の天川に行き、その帰りに法隆寺に行き、法隆寺の仏さんたちに出会ったことがきっかけではないかと思っているのだが、研究する学者でもないし、資料をじっくり見たわけでもないからこれはわからないが・・・
**法隆寺の小さい仏像が国の重要文化財と指定指定され、東京国立博物館に収められているが、これらを見ると円空さんの衣のギザギザになったんでは?と思うものがたくさんある**
続けて書くと、ものすごく長くなりそうなので、ここで一旦止めて、本物の話はこの次に書くことにします。