2007年08月18日

一回目の連載を終えて

 去る6月25日からはじめた「旅の記録」の連載を昨日の記事で終了しました。

 こうした連載が、こpのBLOGでは存在していないようなので、どういった反響になるか不安と興味と期待がいろいろ入り混じってました。
 結果的には、徐々にアクセス数も増えていき、お読みいただいている方も、一部定着したようにも思えました。それと、このBLOGのメンバーでない方にもお読みいただいているようで、またその数も増えているようで、本当にありがたく思いました。

 親鸞研究の一端で始めた上越への旅は、今回の連載のときが3度目でした。

 初めてのときは、長野オリンピックの年の4月、雪の上がった翌日の長野道を走り、上越に着いたときは冷たい雨でした。親鸞の奥さん・恵信尼さんのお墓では、雨と妙高からの冷たい風の中でした。
 何の下調べもせず、ただ単に「親鸞上陸の日」といわれる季節を見るだけのために出かけたのです。このときに、記念堂で林正寺の先代の坊守さんにお会いし、短い時間の中でしたが親鸞への熱い思いをお伺いしました。

 2回目のときは、冗談から書き始めた小説で上越の町を移動を初回の記憶で書いていたのですが、どうにも記憶と地図の差が大きく、気になり始めて、調査のための訪問でした。しかし、そのときも上越の史跡などを調べもせずに訪問という、今から思うとかなりばかげた行動をとったものだと自分自身あきれています。とはいえ、3日間の滞在で思いつくままに走った上越の街が好きになっていったのです。

 4回目は、この後に連載を始めますが、過去とは違った思いで、親鸞の足跡を尋ねることはもちろん、それに上越の町にある史跡などネットで知り、その中で私自身が興味を持ったところを回っています。

 今年7月に中越沖地震がありました。実は、2回目の訪問の年の冬にも中越地震がありました。
 この中越地震のあったことで、地震が親鸞の関東移住の一つのきっかけではないかとも思いはじめたものです。鎌倉時代以前の古文書が現存しない理由も、ひょっとしたら大地震が、ある時代までのどこかいにあり、それが原因で古文書が消滅した可能性もあるのではないかと思ってもいます。
 
 そんなこんなで、実際に現地に立つことで、書籍や論文から得る情報とは違ったものを得ることが出来たと思っています。
 それにもまして、行く先々で接してお話が出来た方々の心の温かさには、日ごろはコンピュータとの対話しかない私には、かけがえのないものを与えていただいたと、心から感謝しています。


 次回の連載は、25日を過ぎたことからと思っています。実は、この旅の記録は昨年のものなのですが、一旦書いたはずのものが、何かの手違いで、半分のデータが消えてしまっていました。そのために、写真を眺めながら、記憶を辿って書く予定です。

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 今日の私の記事
 1: 第一回の連載を終えて
 2: キアゲハ

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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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