2015年10月21日
円空さんを見る 笠松町・慈眼寺
羽島の中観音堂と薬師寺で幾つかの円空さんの本物を見た。中には私が模刻したものもあった。そして次にも濃くするものの気持ちを決める仏様にもお会いした。この近くにはたくさんの園区物があると聞いている、中には個人のお宅にもたくさんあるとか、いる飯を食べたところでも聞いたような。しかし、それはあくまでも個人の持ち物で、なかなか外に出ることはないらしい。
もともと円空さんは、流浪の僧と言われるように、全国を歩き回っている。おそらく歩いて歩いて、どこかに宿泊する段になって、個人のお宅、そうだなぁまぁその時代の名士、庄屋さんなんかに寝泊まりして、その一宿一飯(いやもっとたくさんの寝泊まり)の御礼に仏様を掘っていたのではないか、って言われているが、私もそう想像はする。
昔、有名な画家の方々と車で旅行をしたことがある。そのときにあちこちのローカルな宿屋に泊まったときに彼らはいとも簡単に色紙に風景画などを書いていた。それを残したところもある。円空さんの場合は、それが絵ではなく、仏像だったのかもしれない。
今回羽島に来た理由の一つに、羽島ではないけど、笠松町にある寺が所蔵する円空仏「毘沙門天」を見たいと思ったことだ。この毘沙門さんは、私が円空仏を掘り始め、有志の「円空仏彫刻の会」に入ってしばらくして展覧会に出品のために模刻した仏様だ。
中々うまく彫れずに、結果的に5体くらい彫ったのだが、模刻とはいうもののウニてないものばかりになって、帰省した息子に「不気味さはよく出てるなぁ」なんて皮肉を言われたものだ。
その毘沙門さんの本物には、一度円空店で接しているはずなのだが、どうにも記憶に残っていない、なぜ残らなかったのかはわからないがとにかく残っていない。それでなんとかもう一度本物に接したいと思ったのだ。
左の彫り物は、2年くらい前に彫ったもので、毘沙門さなんとしては一番新しいもの。おそらく本物とはかなり違ったものに仕上がっていると思う。いつものことながら、完全な模刻をするのではなくて、円空さんの仏さんをモチーフにしてオリジナルを作ろうと思っているから。
それは違った言い方をすると、今はやりの”パクリ”と言われるかもしれないけどねぇ。。。
何にしても、この先また掘りたくなる題材なので、もう一度しっかりと本物にお会いしたいと思ったのだ。
この本物のあるお寺は、羽島市ではなく、隣町の笠松町。ネットで検索しても住所はわかるものの、連絡先が見つからない。中観音堂や薬師寺で聞けばわかるかと思ったのだが、どちらでも御ご存知ないとの返事だった。「笠松町」と言ったら「遠いなぁ」と言われたくらいで、、私の頭の中にある羽島市近辺というイメージではないようで、地元は地元の見方があるのだろう。
薬師寺を出てから、車に戻りナビに慈眼寺の住所をセットした。ちょいと細い道を北上して、左に折れて少し行くと昼飯を食べた店の前に出た。その道を左折して北に向かう。つまりは岐阜市街地を目指すことになる。
遠いと言われていたけど、私の頭の中にはもっと近いと思っていたのだが、やはり地元の人のいうことは正確だなぁ、結構北上したなぁ。。。岐阜羽島ICから来る道と合流してもまだ北上した。もう少しいったら柳津まで行きそうだ。
ナビが右折を指示した。それに従って右折、名鉄羽島線の踏切を越えたあたりでナビがもうじき右折だと言ったのだが。。。。ん??なかなか右折の場所を言わないのだ。このナビのねぇさん前にも同じことをした。肝心んなところでだんまりを決め込む。
しょうがないから右に入れる細い道で右折して住宅街に入り込んだ。とにかく細い道だ、どこに寺がある????あった、近くに行ってみたが名前が違う。どこかのオタクの空き地でターンして、また星道を引き返す。ナビに示されている赤い線を頼りに。。。
住宅地の中を右往左往、犬を連れて散歩中の男性に手rの名を言って場所を教えてもらう。
男性の案内のおかげでなんとかとの場所にたどり着けた。
写真が行き着いた寺「慈眼寺」です。ついて「あれ?」・・・なんか雰囲気が、誰も住んでいない寺、いわゆる無住寺の感がある。昔、今は上越市になった板倉町の親鸞の奥さんのお墓に行った時にあったお堂をもいだした。誰もいないのダァ。。。。。
これでは、仏様見せてもらえないわななぁ。。。。。
大きなイチョウの木下に落ちた銀杏を踏みしめ(嘘、そんなことしたら車の中大変になる)お堂を一回り。そして、意を決して諦めて車に戻った。
残念ねぇ。。。。
もともと円空さんは、流浪の僧と言われるように、全国を歩き回っている。おそらく歩いて歩いて、どこかに宿泊する段になって、個人のお宅、そうだなぁまぁその時代の名士、庄屋さんなんかに寝泊まりして、その一宿一飯(いやもっとたくさんの寝泊まり)の御礼に仏様を掘っていたのではないか、って言われているが、私もそう想像はする。
昔、有名な画家の方々と車で旅行をしたことがある。そのときにあちこちのローカルな宿屋に泊まったときに彼らはいとも簡単に色紙に風景画などを書いていた。それを残したところもある。円空さんの場合は、それが絵ではなく、仏像だったのかもしれない。
今回羽島に来た理由の一つに、羽島ではないけど、笠松町にある寺が所蔵する円空仏「毘沙門天」を見たいと思ったことだ。この毘沙門さんは、私が円空仏を掘り始め、有志の「円空仏彫刻の会」に入ってしばらくして展覧会に出品のために模刻した仏様だ。
中々うまく彫れずに、結果的に5体くらい彫ったのだが、模刻とはいうもののウニてないものばかりになって、帰省した息子に「不気味さはよく出てるなぁ」なんて皮肉を言われたものだ。
その毘沙門さんの本物には、一度円空店で接しているはずなのだが、どうにも記憶に残っていない、なぜ残らなかったのかはわからないがとにかく残っていない。それでなんとかもう一度本物に接したいと思ったのだ。
左の彫り物は、2年くらい前に彫ったもので、毘沙門さなんとしては一番新しいもの。おそらく本物とはかなり違ったものに仕上がっていると思う。いつものことながら、完全な模刻をするのではなくて、円空さんの仏さんをモチーフにしてオリジナルを作ろうと思っているから。
それは違った言い方をすると、今はやりの”パクリ”と言われるかもしれないけどねぇ。。。
何にしても、この先また掘りたくなる題材なので、もう一度しっかりと本物にお会いしたいと思ったのだ。
この本物のあるお寺は、羽島市ではなく、隣町の笠松町。ネットで検索しても住所はわかるものの、連絡先が見つからない。中観音堂や薬師寺で聞けばわかるかと思ったのだが、どちらでも御ご存知ないとの返事だった。「笠松町」と言ったら「遠いなぁ」と言われたくらいで、、私の頭の中にある羽島市近辺というイメージではないようで、地元は地元の見方があるのだろう。
薬師寺を出てから、車に戻りナビに慈眼寺の住所をセットした。ちょいと細い道を北上して、左に折れて少し行くと昼飯を食べた店の前に出た。その道を左折して北に向かう。つまりは岐阜市街地を目指すことになる。
遠いと言われていたけど、私の頭の中にはもっと近いと思っていたのだが、やはり地元の人のいうことは正確だなぁ、結構北上したなぁ。。。岐阜羽島ICから来る道と合流してもまだ北上した。もう少しいったら柳津まで行きそうだ。
ナビが右折を指示した。それに従って右折、名鉄羽島線の踏切を越えたあたりでナビがもうじき右折だと言ったのだが。。。。ん??なかなか右折の場所を言わないのだ。このナビのねぇさん前にも同じことをした。肝心んなところでだんまりを決め込む。
しょうがないから右に入れる細い道で右折して住宅街に入り込んだ。とにかく細い道だ、どこに寺がある????あった、近くに行ってみたが名前が違う。どこかのオタクの空き地でターンして、また星道を引き返す。ナビに示されている赤い線を頼りに。。。
住宅地の中を右往左往、犬を連れて散歩中の男性に手rの名を言って場所を教えてもらう。
男性の案内のおかげでなんとかとの場所にたどり着けた。
写真が行き着いた寺「慈眼寺」です。ついて「あれ?」・・・なんか雰囲気が、誰も住んでいない寺、いわゆる無住寺の感がある。昔、今は上越市になった板倉町の親鸞の奥さんのお墓に行った時にあったお堂をもいだした。誰もいないのダァ。。。。。
これでは、仏様見せてもらえないわななぁ。。。。。
大きなイチョウの木下に落ちた銀杏を踏みしめ(嘘、そんなことしたら車の中大変になる)お堂を一回り。そして、意を決して諦めて車に戻った。
残念ねぇ。。。。