2016年09月17日
仏さんに惚れ込んで。。。3 室生寺・十一面観音立像
女人高野、室生寺は過去に3回訪れている。大学の修学旅行(変な学校だと思われそうだが)に最初に訪れた。そのときの記憶はもう5年も前七尾ではっきりしたものはない。ただ赤い橋を渡ったということだけ、あの鎧坂も小さい五重塔も全く記憶に残っていないのだ。もったいない話で・・・・・
その室生寺にあるとき、家内が十二神将を見たいというので、ドライブ旅行をした。そのときの話は「室生寺日帰りドライブ」シリースに書いてあるので、できたらご一読を。
その訪れは、45年ぶりということだったのだが、金堂に入って、ずらりと並んだ国宝の仏さんたち。その中で左端の11面館のを見たとき、「なんと美形の仏さんなのだ」と思ったものだ。あのふっくらした頬が私の心をつかんだということだ。
その年は、木彫りを始めた頃。趣味で始めた木彫りは、円空仏のつもりだったのだが、室生寺の十一面観音に出会ったことで、円空仏とは別に幾つかの観音さんを掘ることに挑戦し始めた。
最初はあの顔をなんとか彫れないかと悪戦苦闘した。頭の11の化仏なしでか本当に顔だけをと。初心者にうまくいくはずもなく。それから6年、この間に十一面観音は五体を彫った。小さいものから始めて今年は50センチのものを二体彫った。プロから、はたアタアベテランの方からは「なんだこんなものか」と言われそうなものですが、自分なりに今の力で彫ったものとしては満足している。その十一面観音は、室生寺の観音さんとはかなり違ったものになってしまっている。再現しようにも後ろ姿を見ることができないので、それなりに想像しなけらばならないからでもあるが、頭の中にはあの十一面観音のイメージに加えて、なぜか法隆寺の百済観音は入ってきたのだ。
室生寺の十一面観音は、全体にちょっとふっくらとしているけど、私の十一面観音は結構細身に仕上がった。でも、まだまだ頭のイメージとはかけ離れているので、この先も新しいものを掘ろうと思っている。
惚れ込んだ三体の仏像のうち、それを彫ろうと思って挑戦した今の所唯一のもの。
さて、実は惚れ込んだ仏さん(仏像)は、厳密にいえば三体だけ。好きな仏像はたくさんあるのだが、心底惚れ込んだのは三体ということ。ということだと、この記事の「仏さんに惚れ込んで」はこの回で終わってしまうことになるのだけど、そこはそこ、心底惚れ込んではいないものの好きな仏さんを書き続ければいいだろうと思う。ということで、そのシリーズは終わらない。
その室生寺にあるとき、家内が十二神将を見たいというので、ドライブ旅行をした。そのときの話は「室生寺日帰りドライブ」シリースに書いてあるので、できたらご一読を。
その訪れは、45年ぶりということだったのだが、金堂に入って、ずらりと並んだ国宝の仏さんたち。その中で左端の11面館のを見たとき、「なんと美形の仏さんなのだ」と思ったものだ。あのふっくらした頬が私の心をつかんだということだ。
その年は、木彫りを始めた頃。趣味で始めた木彫りは、円空仏のつもりだったのだが、室生寺の十一面観音に出会ったことで、円空仏とは別に幾つかの観音さんを掘ることに挑戦し始めた。
最初はあの顔をなんとか彫れないかと悪戦苦闘した。頭の11の化仏なしでか本当に顔だけをと。初心者にうまくいくはずもなく。それから6年、この間に十一面観音は五体を彫った。小さいものから始めて今年は50センチのものを二体彫った。プロから、はたアタアベテランの方からは「なんだこんなものか」と言われそうなものですが、自分なりに今の力で彫ったものとしては満足している。その十一面観音は、室生寺の観音さんとはかなり違ったものになってしまっている。再現しようにも後ろ姿を見ることができないので、それなりに想像しなけらばならないからでもあるが、頭の中にはあの十一面観音のイメージに加えて、なぜか法隆寺の百済観音は入ってきたのだ。
室生寺の十一面観音は、全体にちょっとふっくらとしているけど、私の十一面観音は結構細身に仕上がった。でも、まだまだ頭のイメージとはかけ離れているので、この先も新しいものを掘ろうと思っている。
惚れ込んだ三体の仏像のうち、それを彫ろうと思って挑戦した今の所唯一のもの。
さて、実は惚れ込んだ仏さん(仏像)は、厳密にいえば三体だけ。好きな仏像はたくさんあるのだが、心底惚れ込んだのは三体ということ。ということだと、この記事の「仏さんに惚れ込んで」はこの回で終わってしまうことになるのだけど、そこはそこ、心底惚れ込んではいないものの好きな仏さんを書き続ければいいだろうと思う。ということで、そのシリーズは終わらない。