2017年01月13日
仏さんに惚れ込んで。。。40 興福寺国宝館 山田寺・仏頭
興福寺の国宝館にある、確か入り口近くにあって、結構目立つ存在だったと記憶している。
初めて見たのは、これも大学の古美術研究旅行でのことであると記憶している。昔は、今のようのな綺麗な国宝館ではなくなんとなく裏寂れた建物の中にあって、入口を入ると「うわぁ」と驚くばかりの目立つ存在だった。
結構でかくて、この頭だけで93センチもあるのだ。元は坐像なのか立像なのかは知らないが、まぁ制作時代(飛鳥時代)から行けば坐像かなぁと思うが、この頭の大きさから行くと結構でかい仏さんであったのではないかと思う。
飛鳥時代の制作とはいえ、あの飛鳥寺のようなアルカイックスマイルではなく、かなり写実的な作りで「へぇ〜〜〜」という声を漏らしたものだ。
わたしの手元にある資料では、作者は分かっていない。止利仏師が活躍していた飛鳥時代と同じ時代ということだけど、全くもって作風が違うということは、止利仏師などの流れとは違うものだと思う。もとは天武天皇の後押し(らしい)で寺が建てられ、そこに薬師如来として納められたものとか。興福寺の説明がきでは、「天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂のために造った飛鳥山田寺講堂本尊像の頭部です。」とある。
まぁなんにしても、天皇が絡んだ造像となれば、それなりの物資が選ばれたことだろうが、それが誰だかわからないのは惜しい気がする。
銅製の仏像ということで、なんとなく蟹満寺の釈迦如来を思いだしたのだが、ネットで見る限り製作時期が同じ頃のようで、ご親戚かいな?なんて思ったりもするけどね。蟹満寺も、製作者分かってないんだよなぁ。。(惜しい)
この仏頭を記事あげたのは、とにかく初めて見たときの強烈な印象からだ。だいたいがほとんど目線が合う位置に置かれているのであの切れ長の目がこちらの中を見透かしているようにも思えたりしたことも覚えている。
目線がだいたい同じ位置だと、大きな仏像はだいたい目汁がつり上がったものなのだが、この仏頭は、タレ目なんだよなぁ。実際に作られたことのものを見たら、どう行った目で見えたのか知りたいと思うが、無理な話だ。
それにしても、アルカイックスマイルではないが、口元を引き、笑顔だと思う。優しいお顔、またお会いしたいものです。
直筋でお会いしたのは、数年前に南円堂高北円堂高のお披露目の際に訪れたとき、後方でんででのことだ。次はいつ?