2017年03月26日
岡崎・滝山寺 瀧山東照宮
滝山寺の隣に、隣といってもすぐ横で同じ敷地内といってもいいと思うけど、管理団体が違うということで同じではないという「瀧山東照宮」がある。ということは、愛知県に2つの東照宮があるのだなぁ。もう一つは豊田市の東の方の松平にある「松平東照宮」がそれだ。
松平東照宮は、桜や紅葉の時期に行くとそれなりの景色を楽しむことができるが、最初に行った時は東照宮に行く目的ではんかったけど、偶然に東照宮の前に来たのだった。東照宮というからには、其れなりにケバケバしいものかと思いきや、松平東照宮は、ごく普通の神社という趣だ。(工事中だったこともあってしっかりみなかったな)
それに引き換え、この「瀧山東照宮」は、「日光東照宮」に比べれば規模もものすごく小さいし、装飾もかなり控えめなのだが、まぁある程度の派手さは持っている。写真は拝殿の奥の階段のところから撮ったもので、ちょいと奥行きが足りなくて全体が撮れなかった。コンパアクトデジカメの方が良かったかもなぁ。
最初は、拝殿に上がりラジカセの説明を聞いたりしたんですが、私はどうにも興味が惹かれず、拝殿内の写真を撮ったりしてました。(もちろん撮影禁止でないことは確かめて)
写真のように、内部には百人一首ではないと思うわかの額があったりしてましたが、これはどの時代のものだろうなどと疑問に思ったりして。。。。
外に出て勝手に写真を撮っていた。左が拝殿の全体ですが、梁などには結構派手な彩りがなされてます(日光には遠く及びません)。まぁ、隣の滝山寺が煤けていることに比べればとにかく派手でしょう。
その彩は裏手で、破風に施された装飾は流石東照宮と思う感じですね。少年側よりも裏手の方が派手だったという、奥ゆかしいオシャレ感覚なんてこと言うと皮肉に聞こえるかも。何れにしても、それなりに金をかけたんでしょうが、何せ将軍家の管理ではない岡崎(徳川重鎮の本田山の領地)なので、それにいくら家康の生地とはいえ徳川家を差し置いて派手にはできないだろうなぁ。
拝殿の左右には、たくさんの灯篭が並んでいるが、これは4月17日が家康の命日なので、それに合わせて色々かところから奉納されているということです。みんな4月17日が彫り込まれていた。
それにしても、愛知県に2つの東照宮があるとはねぇ。。。。
松平東照宮は、桜や紅葉の時期に行くとそれなりの景色を楽しむことができるが、最初に行った時は東照宮に行く目的ではんかったけど、偶然に東照宮の前に来たのだった。東照宮というからには、其れなりにケバケバしいものかと思いきや、松平東照宮は、ごく普通の神社という趣だ。(工事中だったこともあってしっかりみなかったな)
それに引き換え、この「瀧山東照宮」は、「日光東照宮」に比べれば規模もものすごく小さいし、装飾もかなり控えめなのだが、まぁある程度の派手さは持っている。写真は拝殿の奥の階段のところから撮ったもので、ちょいと奥行きが足りなくて全体が撮れなかった。コンパアクトデジカメの方が良かったかもなぁ。
最初は、拝殿に上がりラジカセの説明を聞いたりしたんですが、私はどうにも興味が惹かれず、拝殿内の写真を撮ったりしてました。(もちろん撮影禁止でないことは確かめて)
写真のように、内部には百人一首ではないと思うわかの額があったりしてましたが、これはどの時代のものだろうなどと疑問に思ったりして。。。。
外に出て勝手に写真を撮っていた。左が拝殿の全体ですが、梁などには結構派手な彩りがなされてます(日光には遠く及びません)。まぁ、隣の滝山寺が煤けていることに比べればとにかく派手でしょう。
その彩は裏手で、破風に施された装飾は流石東照宮と思う感じですね。少年側よりも裏手の方が派手だったという、奥ゆかしいオシャレ感覚なんてこと言うと皮肉に聞こえるかも。何れにしても、それなりに金をかけたんでしょうが、何せ将軍家の管理ではない岡崎(徳川重鎮の本田山の領地)なので、それにいくら家康の生地とはいえ徳川家を差し置いて派手にはできないだろうなぁ。
拝殿の左右には、たくさんの灯篭が並んでいるが、これは4月17日が家康の命日なので、それに合わせて色々かところから奉納されているということです。みんな4月17日が彫り込まれていた。
それにしても、愛知県に2つの東照宮があるとはねぇ。。。。