2007年09月29日
6月の残雪 06旅の記録 3日目 4
第3日 北国街道・19号を走る その4
上越から妙高高原 4 県境の残雪
車を止めたところは、JR信越線のガード下。旧国道の脇にはまだ雪が残っている。6月2日というのに雪が残っているのだ。おそらく陽があたることがないところなのだろう。そして、標高も結構高いところだから、根気説になっても雪が残るということか。昨年の飯山街道も雪が残っていた。それだけ、この近くは厳しい標高を超える必要があるということだ。
今通ってきた道路の橋の下流側、北側にもうひとつの橋がある。これが昔の北国街道を示し、橋を渡ったところに関所の施設があるらしい。平日だからか、時間が早いからか、施設が開いているという雰囲気はまったくない。何枚かの写真を撮ったが、この写真では意味不明なものになるだろうなぁ。
車に戻り、また走りはじめる。信越線の画^度をくぐるとすぐに道は右にカーブする。正面に壁があるという雰囲気で、それを避けるためのカーブだ。とにかくすごくきつい上り坂。そして、前方右手に現在の国道18号線の高架橋が見える。とにかくものすごく高いところを走っている。今走っているこの道でなければ、あの高いところを一気に走っていたということか。この高さを、これから登ることになる。「覚悟していけ」といわれているようにも思う。
一旦車を止めて18号線の高架橋の写真を撮った。
左にカーブしてまた上っていく。そして、上に見えたものはなだれから道路を守るための施設だろうか、トンネル状のものが道路を覆っている、しかもこれがカーブしているのだ。懐かしい、会津に行くときに確かに通った道であることは間違いない。ということは、当時は現在の18号線の高架橋はなかったのだ。地図はこちら
ほんの短い距離の間に、かなりな標高差を上ったことになる。現十八号線の下を行ったりきたりしてやっと合流地点に来た。何か暗いところから明るいところに出たと思える合流だが、夜だったら恐ろしく思うかもしれないところではないかとも思う。
しかし、このあたりは何もない。車の量も少ないし、ほんとに国道と合流したのかとすら思った。
私は、このときまず目指している野尻湖がもうほんの少しであることを知っていなかった。頭の中ではまだ数十キロある感覚でいたのだ。
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上越から妙高高原 4 県境の残雪
車を止めたところは、JR信越線のガード下。旧国道の脇にはまだ雪が残っている。6月2日というのに雪が残っているのだ。おそらく陽があたることがないところなのだろう。そして、標高も結構高いところだから、根気説になっても雪が残るということか。昨年の飯山街道も雪が残っていた。それだけ、この近くは厳しい標高を超える必要があるということだ。
今通ってきた道路の橋の下流側、北側にもうひとつの橋がある。これが昔の北国街道を示し、橋を渡ったところに関所の施設があるらしい。平日だからか、時間が早いからか、施設が開いているという雰囲気はまったくない。何枚かの写真を撮ったが、この写真では意味不明なものになるだろうなぁ。
車に戻り、また走りはじめる。信越線の画^度をくぐるとすぐに道は右にカーブする。正面に壁があるという雰囲気で、それを避けるためのカーブだ。とにかくすごくきつい上り坂。そして、前方右手に現在の国道18号線の高架橋が見える。とにかくものすごく高いところを走っている。今走っているこの道でなければ、あの高いところを一気に走っていたということか。この高さを、これから登ることになる。「覚悟していけ」といわれているようにも思う。
一旦車を止めて18号線の高架橋の写真を撮った。
左にカーブしてまた上っていく。そして、上に見えたものはなだれから道路を守るための施設だろうか、トンネル状のものが道路を覆っている、しかもこれがカーブしているのだ。懐かしい、会津に行くときに確かに通った道であることは間違いない。ということは、当時は現在の18号線の高架橋はなかったのだ。地図はこちら
ほんの短い距離の間に、かなりな標高差を上ったことになる。現十八号線の下を行ったりきたりしてやっと合流地点に来た。何か暗いところから明るいところに出たと思える合流だが、夜だったら恐ろしく思うかもしれないところではないかとも思う。
しかし、このあたりは何もない。車の量も少ないし、ほんとに国道と合流したのかとすら思った。
私は、このときまず目指している野尻湖がもうほんの少しであることを知っていなかった。頭の中ではまだ数十キロある感覚でいたのだ。
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