2018年05月23日
仏さんに惚れ込んで 特別編・浄土寺阿弥陀三尊 1
18年5月22日
前日は、かねてより念願の有馬温泉に宿泊。なぜか精進料理が夕食と相成った。別にそれを望んだわけでもないのだが、たまたま採れたホテル(旅館)の夕食が精進料をセットしていた。結構美味しかった。
朝食をとって、30分ほどしてホテルをチェックアウト、中国自動車道に入って”ひょうご東条”で降りて田舎道(ごめんなさい、途中ものすごく細かったから)を延々と走って浄土寺に到着。
参拝者用の駐車場には神戸ナンバーの車が2台だけ、他府県ナンバーはいない。私が最初の参拝者かな?まだ10時半だからなぁ。。。。
上の画像は、止めた車を背に浄土寺を見ている。屋根はこれまでの知識から”浄土堂”と判断した。右手にある案内図を見て、右側の入り口から入ることにして歩いていく。
掲載に入って見たものの、若い女の子が2人木陰で話しをしているだけで、他には誰もいない。やっぱり私らが最初の参拝者のようだ。
浄土堂に入る前に、境内を一巡。これは別途旅行記で書くことにして、本題の阿弥陀三尊を見に行く。
境内を一巡している間に、他の参拝客(後でわかったけど、世田谷なナンバーのご夫婦)が先に入られてました。拝観料と依頼した朱印の代金を払って、リーフレットをもらって阿弥陀如来の前にいく。
まずは、合唱をした。そして見上げる。うわぁ〜〜〜〜でっかいです。背の高さ5メートルを超えているんだ。しかも須弥壇の上にあり、さらに雲にのっているのでとにかく顔はかなりな角度で見上げねな貼らない。頚椎に問題がある私は、要注意の仏さんだ。こんなでっかい阿弥陀さんの立ち姿は初めてだ。快慶の作とあるが、あの東大寺南大門の金剛力士に制作に関わったと言われているけど、あの力強さというものはこの阿弥陀三尊には見られない。かなり印象が違う作風と思う。
まずは、阿弥陀如来の目を見た。堂内で如来を真正面に見て一番離れた壁・扉に一番近いところ(阿弥陀から一番遠いところ)絡みても、目がかなり釣り上がっている。多分に阿弥陀に一番近い眼下でみあげることをいしきしているのかと思うほどだ。
実際に一番近くまで移動して見上げてみたら、そこで初めて柔らかい目になった。おそらく高い位置から、正面から見たら、かなり釣り上がって見るんではないかと思う。仏像は眼下で見るのが一番いいのかもなぁ。。
躯体は、がっしりとした体だ。現代で言えばメタボ予備軍で、華奢な印象はまったくない。しかし、前にも書いたように力強さの印象はない。あくまでも柔和なお迎えの形を表しているのだと思う。”来迎”は両手の印がそれを示している。
右手は腕を下げて”施無畏印”、右手は手を胸場であげ、人差し指を伸ばし、親指と中指を合わせた”来迎印(詳細はちょっと違う)”をもっている。
つまりは、この阿弥陀如来は使者を浄土に迎えるために雲に乗って降りてきたところを表しているわけで、このお迎えの誘いに乗ってついていくともうこの世には帰れなくなるわけだ。柔和な表情だけに、ついていきたくなると思う。
余計な話を書いてしまった。この如来の手の指は太く真っ直ぐな太さのもの、まぁごく普通の仏さんの手の感じはそのままに表現されていると思う。
この阿弥陀如来を横から見ると、ちょっとメタボかなぁ。。。だいたいぶつぞうはおなかぽっこりにつくられている。なんででしょうね、私の体型みたいですよ。いずれ仏さんになる見だけど、阿弥陀佛のように悟りが開けるかどうかわからない、でも見た目だけは合わせておくのもいかって、医者に嫌味の表現だな。
この時代の仏像はリアルな作りが多いが足を見たら本当にリアルで、足の指なんかも爪まできちんと彫られている。足の甲は結構高く靴を作ると大変かもな。まぁ裸足でおいでなのでその心配はない。
見たときの印象を書くと止めどもなく書くことになる。論文でも書くのならそれも致し方ないけど、ここは私の行きた明石のためのブログ、長くは書かない。とにかく、素晴らしい阿弥陀如来立像です。写真で見ていた印象よりも生の人間に近く、恐れを感じさせない作りだと思った。
来迎だから当然といえば当然だが、それにしてもさすがの快慶の作と敬服した。
さて、次回は両脇の脇侍、観音菩薩と勢至菩薩を書くことにする。
前日は、かねてより念願の有馬温泉に宿泊。なぜか精進料理が夕食と相成った。別にそれを望んだわけでもないのだが、たまたま採れたホテル(旅館)の夕食が精進料をセットしていた。結構美味しかった。
朝食をとって、30分ほどしてホテルをチェックアウト、中国自動車道に入って”ひょうご東条”で降りて田舎道(ごめんなさい、途中ものすごく細かったから)を延々と走って浄土寺に到着。
参拝者用の駐車場には神戸ナンバーの車が2台だけ、他府県ナンバーはいない。私が最初の参拝者かな?まだ10時半だからなぁ。。。。
上の画像は、止めた車を背に浄土寺を見ている。屋根はこれまでの知識から”浄土堂”と判断した。右手にある案内図を見て、右側の入り口から入ることにして歩いていく。
掲載に入って見たものの、若い女の子が2人木陰で話しをしているだけで、他には誰もいない。やっぱり私らが最初の参拝者のようだ。
浄土堂に入る前に、境内を一巡。これは別途旅行記で書くことにして、本題の阿弥陀三尊を見に行く。
境内を一巡している間に、他の参拝客(後でわかったけど、世田谷なナンバーのご夫婦)が先に入られてました。拝観料と依頼した朱印の代金を払って、リーフレットをもらって阿弥陀如来の前にいく。
まずは、合唱をした。そして見上げる。うわぁ〜〜〜〜でっかいです。背の高さ5メートルを超えているんだ。しかも須弥壇の上にあり、さらに雲にのっているのでとにかく顔はかなりな角度で見上げねな貼らない。頚椎に問題がある私は、要注意の仏さんだ。こんなでっかい阿弥陀さんの立ち姿は初めてだ。快慶の作とあるが、あの東大寺南大門の金剛力士に制作に関わったと言われているけど、あの力強さというものはこの阿弥陀三尊には見られない。かなり印象が違う作風と思う。
まずは、阿弥陀如来の目を見た。堂内で如来を真正面に見て一番離れた壁・扉に一番近いところ(阿弥陀から一番遠いところ)絡みても、目がかなり釣り上がっている。多分に阿弥陀に一番近い眼下でみあげることをいしきしているのかと思うほどだ。
実際に一番近くまで移動して見上げてみたら、そこで初めて柔らかい目になった。おそらく高い位置から、正面から見たら、かなり釣り上がって見るんではないかと思う。仏像は眼下で見るのが一番いいのかもなぁ。。
躯体は、がっしりとした体だ。現代で言えばメタボ予備軍で、華奢な印象はまったくない。しかし、前にも書いたように力強さの印象はない。あくまでも柔和なお迎えの形を表しているのだと思う。”来迎”は両手の印がそれを示している。
右手は腕を下げて”施無畏印”、右手は手を胸場であげ、人差し指を伸ばし、親指と中指を合わせた”来迎印(詳細はちょっと違う)”をもっている。
つまりは、この阿弥陀如来は使者を浄土に迎えるために雲に乗って降りてきたところを表しているわけで、このお迎えの誘いに乗ってついていくともうこの世には帰れなくなるわけだ。柔和な表情だけに、ついていきたくなると思う。
余計な話を書いてしまった。この如来の手の指は太く真っ直ぐな太さのもの、まぁごく普通の仏さんの手の感じはそのままに表現されていると思う。
この阿弥陀如来を横から見ると、ちょっとメタボかなぁ。。。だいたいぶつぞうはおなかぽっこりにつくられている。なんででしょうね、私の体型みたいですよ。いずれ仏さんになる見だけど、阿弥陀佛のように悟りが開けるかどうかわからない、でも見た目だけは合わせておくのもいかって、医者に嫌味の表現だな。
この時代の仏像はリアルな作りが多いが足を見たら本当にリアルで、足の指なんかも爪まできちんと彫られている。足の甲は結構高く靴を作ると大変かもな。まぁ裸足でおいでなのでその心配はない。
見たときの印象を書くと止めどもなく書くことになる。論文でも書くのならそれも致し方ないけど、ここは私の行きた明石のためのブログ、長くは書かない。とにかく、素晴らしい阿弥陀如来立像です。写真で見ていた印象よりも生の人間に近く、恐れを感じさせない作りだと思った。
来迎だから当然といえば当然だが、それにしてもさすがの快慶の作と敬服した。
さて、次回は両脇の脇侍、観音菩薩と勢至菩薩を書くことにする。