2018年09月15日
”悟り”って・・・ その4の1の補足
”悟り”について考えながら、いや頭に出てくるものをただ取り留めもなく書いているに過ぎないけど、その記事をお読みになった方からご教授賜りました。「”悟り”とは輪廻転生を解脱すること」と。
この点については、仏教の中での六道の輪廻から抜けるという話は知ってはいますが、あんまり気にしたこともないので、触れることはないかって思っていたんですが。。。
この「輪廻転生からの解脱」ということを悟りの目的(?)とするにしても、なぜこうした考えが必要なのか?という別な疑問が生じるんです。六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の各道)を実際に経験した人がいるのか、と聞いても誰も”私が”は言わないと思います。
では、なぜ誰も体験したことのない六道を仏教の中で説くのか?こんな疑問も生じてきます。
だいたい、宗教というものを信じるのならば教えに対して疑問を持つことはご法度に近いかと思いますが、ときにそのご法度を破る宗教家が出てきて、宗教改革のようなものが生まれている。日本では法然、親鸞、日蓮などなど、キリスト教ではルターの宗教改革などがそれかなぁって歴史の授業の中で思ったことです。
で、私が今考えていることは、仏教の教えの中の”悟り”ではないのです。仏教の教えの悟りなら経典を勉強すればいいことですが、まさかこの年になって今更膨大な仏典をひっくり返して勉強するなんて気持ちはサラサラないし、もともと世の主流の流れに逆らって生きてきた私ですから、一切の教えを無視して、外から”悟り”ってなんだ?”悟り”ってなんだを考えているということです。
ということで、この先もその線に沿って”悟り”について数多の中に浮かんだことを書いていこうと思っています。
決して、宗教を否定するものではありません。心の中にひ必要なものでもあるかと思っているので。その点はご理科いたわりたいと思います。
この点については、仏教の中での六道の輪廻から抜けるという話は知ってはいますが、あんまり気にしたこともないので、触れることはないかって思っていたんですが。。。
この「輪廻転生からの解脱」ということを悟りの目的(?)とするにしても、なぜこうした考えが必要なのか?という別な疑問が生じるんです。六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の各道)を実際に経験した人がいるのか、と聞いても誰も”私が”は言わないと思います。
では、なぜ誰も体験したことのない六道を仏教の中で説くのか?こんな疑問も生じてきます。
だいたい、宗教というものを信じるのならば教えに対して疑問を持つことはご法度に近いかと思いますが、ときにそのご法度を破る宗教家が出てきて、宗教改革のようなものが生まれている。日本では法然、親鸞、日蓮などなど、キリスト教ではルターの宗教改革などがそれかなぁって歴史の授業の中で思ったことです。
で、私が今考えていることは、仏教の教えの中の”悟り”ではないのです。仏教の教えの悟りなら経典を勉強すればいいことですが、まさかこの年になって今更膨大な仏典をひっくり返して勉強するなんて気持ちはサラサラないし、もともと世の主流の流れに逆らって生きてきた私ですから、一切の教えを無視して、外から”悟り”ってなんだ?”悟り”ってなんだを考えているということです。
ということで、この先もその線に沿って”悟り”について数多の中に浮かんだことを書いていこうと思っています。
決して、宗教を否定するものではありません。心の中にひ必要なものでもあるかと思っているので。その点はご理科いたわりたいと思います。