2018年09月15日

悟り”って・・・ その4の2

 前回の「悟り”って・・・ その4の1の補足」(内容はこちら)で書いたように、仏教の中での”悟り”を考えているのではないということはおわかりいただけたかなと思うのですが。

 人生の中で”悟る”ということが一体何なのか?おそらくまともに考えると、哲学者になれるかなって思います。
 実は、私は幼少から小学校の間、身近に哲学書がたくさんありました。実の父親が学生の頃に勉強した書籍なんだろうと思うのですが、その辺は本人と話したことがないので全くわかりません。父は名古屋市にある仏教系の中学校で学び、僧侶となる資格を得ていたようです。
 そして、戦争に行って死んでしまいましたが、生きて戻れば名古屋の某大きな寺を任されるとことになっていたとご先祖さんから聞いています。死んでしまったのでそれはなくなったですが、生きて戻ってきていたら、私は今頃”南無阿弥陀仏”を唱えていると思います。

 で、私は、彼が残した哲学書を時折読んでいたようです。多分に知らないうちに哲学書に違和感を覚えない人間になっていたのかもしれません。ただ、母が宗教にかなり拒否感を持っていたので、それもある程度影響は受けているとは思いますが、父親の血のほうが買ったのかもしれません。と言って、哲学者になるなんて思ったことはないですが。まぁ、かなり終局的に哲学に近い”理論物理”をやりたいとは真剣に思っていたのですが、その夢叶わずでした。

 そういったベースを持つ私ですが、何かにつけてモノの根本を考えようとする傾向があるらしいのです。なので今回の”悟り”も仏教の教えの中で言われる”悟り”=”解脱”はモノの根本とみなしていないのです。仏教の教えは”輪廻転生””六道”などがある前提で物を考えていると私は思ってますから、そういった前提ではなく、そのもととなった考え、つまりブッダ=釈迦はなぜ”解脱”を”悟り”と考えたのか?もっと突っ込んで”なぜ六道”なるものを考えたのかということなのです。

 といって、今私が考える”悟り”は、それも頭にはなく。一人の人間として”自分の人生で何を悟るか”、”何を悟ったか”を考えるということです。
 (
いずれ、その気になったら”六道”も考えてみるかな?)

 
 この”悟り”って・・・”というシリーズの記事の”その2”だったかな?私が55歳のときに思ったことを書いたのは、”自分の死”を実感したときのこと。
 それから30年経って・今の私は何を悟ったのだろうて、自問しても、何も悟ってないなぁ。。。ていうのが現状の”悟り”かな?

 まだ頭の中には、”人のため”を考えたこともあったというのが残ってます。いつか、これについて書いてみることにします。ただ、何時書くかはわかりません。

 相変わらず支離滅裂でごめんなさい。

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