2021年04月08日
4月8日 木曜日 晴 冷たい乾いた風少し 10周年記念日
今日は書きたいことがいっぱい
最初にやはりこれは書かにといけないこと
末期前立腺癌宣告から 10年を経過した
毎年書いていることだけど
1年1年が私にとっての節目
最初はどれだけ生きられるか思ったことなかった
周りがみんな
いのち短いと思ったようで
いろいろ気を使ってくれた
が
10年も経つと
癌で死期が近いなんて
全く思ってもいない
逆に思っている可能性すらある
何にしても
が1お年生きながらえたとはいえ
癌病巣は消えたと言われてるとはいえ
癌から解放されたわけではない
宣告されたときに
主治医に言った言葉
「死ぬまで仲良くお付き合いします」
これが
今でも私の思っていること
癌と闘うのではなく
悪さしないように頼んで
共存すること
余命宣告はそのときなかった
しかし後日担当医に聞いた
「余命どのくらいでした?」
担当は
「知らずにいたら半年くらいだったか」
知ったとはいえ
ここまで癌病巣が消えてくるとは
担当医も思っていなかったようだ
数年して
秒安定ということで病院が変わった
その今の病院の担当医は
「これだけ長く同じ治療法で」
「10年というのは奇跡的だ」
と
現在は
骨シンチ、C画像などの検査結果では
転移もなく順調に経過しているとのこと
他の前立腺癌患者さんの
一つのいい事例となってもらえれば幸いです
****
この後いくつかの過去のブログを
再掲載します
・生体検査の様子
・骨シンチによる転移確認検査
などなど
最初にやはりこれは書かにといけないこと
末期前立腺癌宣告から 10年を経過した
毎年書いていることだけど
1年1年が私にとっての節目
最初はどれだけ生きられるか思ったことなかった
周りがみんな
いのち短いと思ったようで
いろいろ気を使ってくれた
が
10年も経つと
癌で死期が近いなんて
全く思ってもいない
逆に思っている可能性すらある
何にしても
が1お年生きながらえたとはいえ
癌病巣は消えたと言われてるとはいえ
癌から解放されたわけではない
宣告されたときに
主治医に言った言葉
「死ぬまで仲良くお付き合いします」
これが
今でも私の思っていること
癌と闘うのではなく
悪さしないように頼んで
共存すること
余命宣告はそのときなかった
しかし後日担当医に聞いた
「余命どのくらいでした?」
担当は
「知らずにいたら半年くらいだったか」
知ったとはいえ
ここまで癌病巣が消えてくるとは
担当医も思っていなかったようだ
数年して
秒安定ということで病院が変わった
その今の病院の担当医は
「これだけ長く同じ治療法で」
「10年というのは奇跡的だ」
と
現在は
骨シンチ、C画像などの検査結果では
転移もなく順調に経過しているとのこと
他の前立腺癌患者さんの
一つのいい事例となってもらえれば幸いです
****
この後いくつかの過去のブログを
再掲載します
・生体検査の様子
・骨シンチによる転移確認検査
などなど