2021年04月08日
末期前立腺癌・宣告から10年 その10年前の様子 その1
末期前立腺癌の千石を植えてから
今日でまる10年を経過した
その10年前のブログ記事
それを読むと
生体検査から宣告、精密検査などの経過書かれている
10年のいう時間は癌治療法には長い時間で
相当の治療法の変化があるとは思うが
まぁ検査kら治療方針決定までを知っておけれると
なにかの参考になるかもと思います
経過・その1 (引用部分は、今日書き込んだコメントです)
・前立腺癌検査
金曜日(2011年4月1日)に前立腺がんの疑いで検査を受けた。
検査といっても手術まがいなことが必要で、入院病室から看護師さんに連れられて手術室に向かった。この手術室の入口があまり気持ちのいいものではない。ステンレスのドアが待っている、まるで葬儀場の感じがしないでもない。『雰囲気を暖かくしてよ』って一言言ってみたけど、担当の看護師さんたちはどこ吹く風ですよぉ。
手術台に上がった。この台がこれまたあんまり感じのいいものではなくって・・・{書かないでおきましょう}
手術が始まった。最初は麻酔を打たれたようだが、せいぜいちくちくするくらいだったが、それが終わったら麻酔が効いているからとばかりに、お尻からピストルを打ち込むかのような衝撃。途中から打ち込まれる直前のことが分かるようになったけど、それが何かの意味があるかと言われれば、自分の力で制御できないから全く意味はない。
全部で10発(*実際は12本だったらしい)撃ち込まれた。打ち込まれてこれで開放。途中、かなり体に力が入っていたのだろう(当然だよな痛いもの)「力を抜いて」と数回言われた。終わって、帰りは安静ということで車いすに乗せられた。担当の看護師さんが来るまでしばらく検査担当の看護師さんが付き添っていた。多分、私が青い顔をしていたからではないかと思う。多分に痛さからの緊張と、多分出血でもしたのか貧血を起こしていたのではないかと思う。
ピストルを打ちこまれているような感じの間、後ろに心電図やら何やらの装置が見える。そこに表示されていた脈拍はなんと最低52まで下がったのだ。血圧は133/72位でまずは正常だったが。脈拍は平常時でも遅い方なので心配はないけど、それでもなぁ50近くまでの遅さは自覚としては初めてだな。
車いすで病室に戻った。これから止血剤を2時間かけて点滴する。担当した看護師さんは針のさし方も点滴のスピードもかなり慣れているのだろう。針はいたくなかったし、スピードは予定時間ぴったりだった。(翌日の点滴はそうはいかなかった)
この後、我慢していた排尿。安静ということで尿瓶でしたのだが、かなり血が出てシーツを汚さないようにと敷いたバスタオルが血で汚れたくらいだ。それに、最初の排尿は痛かったなぁ。。
この点滴の間に、体温がものすごく下がってきた。検温では35度2分と男では珍しいとまで言われてしまったくらいに。後から思ったことは、どうも前夜の食事が6時で、それから15時間の絶食で血糖値がかなり落ちていたのではないか。私血糖値が落ちるとものすごく体温下がるんです。
なんとか2時間、じっと我慢の寝たきり。小便もしたくなるけど、これまた尿瓶で、少し血は減っていた。2時間たってやっと終了。これでなんとか自由に動けるようにはなったものの、何か気分がよくない。トイレにいって初めての排尿。真っ赤である。しょうがないよねぇ。担当医も看護師も水をがぶがぶ飲めという。言われたとおりにがぶがぶ飲むからトイレに行くのが1時間おきくらいになっている。3回目くらいで何とか血の量が減ってきて、色が点滴と同じくらいになってきた。
とはいえ、体温上がらず。足の先がものすごく冷たい。といってなんともならないのだが。点滴が終わる少し前に息子が到着。腹がへって我慢できないからとパンを買いに行ってもらった。そのパンを点滴終了後にすぐにぱくついた。まるで子供だ。
それから先は、もう寝ているだけ。昼飯、晩飯と後はトイレに行くときだけおきだして。。。。
時間がたつにつれて血尿は減るものの、それでも血が混じらない時はほとんどない。人によっては出血しないこともあるのだとか。そんなこと言われるとただでさえ貧血気味の私にはあまり精神的にもよくないよなぁ。
夜は、9時消灯。そのまま素直に消すほどガキでもないのだけど、周りが暗くなって静かになると、なんだか眠くなってそのまま気を失ったように。とはいえ水をがぶ飲みしているのでトイレに行く回数が多いこと。周りには迷惑だったかもしれない。
翌朝(3日目)夜中の4時ころに目が覚めてから寝付けなくて、そのまま6時になって。。。だんだん周囲が動き始めたけど、寝不足気味でなかなか動く気にもなれずにいた。朝食は8時。しかしお腹が空きすぎているので、前日買ってもらったパンを1個食事の前に食べる。
8時になって朝食が来た。美味しかった。この2泊3日の間の食事で初めて汁ものが出た。この朝の検温は36度2分。平熱より少し高い。脈拍は56だったか、血圧は132だったと思う。まぁ正常に近いですが、まだ血尿です。夜中より少し増えたかも。
9時になってまた点滴。最初スピードが遅すぎて。。。。トイレに行って戻ったら点滴が止まった。と、そのときは。座ったら少し戻ったが、あまり遅いのでナースコールで看護師さんに来てもらって調節してもらう。早くなったおかげで血管が少々痛い。
この2時間の間、トイレに行く以外は寝ていたのだが、(寝てる方が点滴にはいいといわれたので)だんだん腰が痛くなり、最後はちょっと我慢の限界を超え始めた。寝返りを打つだけ。それでもなんとか我慢して、終了。
息子に荷物を片づけてもらって、帰り支度。忘れ物ないように注意して、病室を出る。廊下で看護師さんに出会い、リストバンド(名前やバーコードの印刷されたもの)を切ってもらって放免された。
今日(記述した日)は、それから丸1日と半分過ぎようとしているけど、血尿はあったりなかったり。水は相変わらずがぶ飲み。おかげで自宅でも夜中1時間ごとにトイレに。昼寝しても途中で夢破れてトイレに。
これがいつまで続くのか・・・・・ 多分、次の外来までかもなぁ。。
*****
今日でまる10年を経過した
その10年前のブログ記事
それを読むと
生体検査から宣告、精密検査などの経過書かれている
10年のいう時間は癌治療法には長い時間で
相当の治療法の変化があるとは思うが
まぁ検査kら治療方針決定までを知っておけれると
なにかの参考になるかもと思います
経過・その1 (引用部分は、今日書き込んだコメントです)
この4月8日にガン宣告を受けたが
その宣告となる検査を4月1日に入院で行っている
それを耐震した3日に掻いたブログを処す介しておこう
これが 前立腺がんの整体検査だということ
もう10年も立つので変わっているかも知れないが
・前立腺癌検査
金曜日(2011年4月1日)に前立腺がんの疑いで検査を受けた。
検査といっても手術まがいなことが必要で、入院病室から看護師さんに連れられて手術室に向かった。この手術室の入口があまり気持ちのいいものではない。ステンレスのドアが待っている、まるで葬儀場の感じがしないでもない。『雰囲気を暖かくしてよ』って一言言ってみたけど、担当の看護師さんたちはどこ吹く風ですよぉ。
ブログには書いていなかったが、記憶では樹種津室には女性がたくさん並んでいた。ここで下半身を晒すというのは、木は透かし鋳物があったと記憶している
手術台に上がった。この台がこれまたあんまり感じのいいものではなくって・・・{書かないでおきましょう}
手術が始まった。最初は麻酔を打たれたようだが、せいぜいちくちくするくらいだったが、それが終わったら麻酔が効いているからとばかりに、お尻からピストルを打ち込むかのような衝撃。途中から打ち込まれる直前のことが分かるようになったけど、それが何かの意味があるかと言われれば、自分の力で制御できないから全く意味はない。
全部で10発(*実際は12本だったらしい)撃ち込まれた。打ち込まれてこれで開放。途中、かなり体に力が入っていたのだろう(当然だよな痛いもの)「力を抜いて」と数回言われた。終わって、帰りは安静ということで車いすに乗せられた。担当の看護師さんが来るまでしばらく検査担当の看護師さんが付き添っていた。多分、私が青い顔をしていたからではないかと思う。多分に痛さからの緊張と、多分出血でもしたのか貧血を起こしていたのではないかと思う。
ピストルを打ちこまれているような感じの間、後ろに心電図やら何やらの装置が見える。そこに表示されていた脈拍はなんと最低52まで下がったのだ。血圧は133/72位でまずは正常だったが。脈拍は平常時でも遅い方なので心配はないけど、それでもなぁ50近くまでの遅さは自覚としては初めてだな。
車いすで病室に戻った。これから止血剤を2時間かけて点滴する。担当した看護師さんは針のさし方も点滴のスピードもかなり慣れているのだろう。針はいたくなかったし、スピードは予定時間ぴったりだった。(翌日の点滴はそうはいかなかった)
この後、我慢していた排尿。安静ということで尿瓶でしたのだが、かなり血が出てシーツを汚さないようにと敷いたバスタオルが血で汚れたくらいだ。それに、最初の排尿は痛かったなぁ。。
この点滴の間に、体温がものすごく下がってきた。検温では35度2分と男では珍しいとまで言われてしまったくらいに。後から思ったことは、どうも前夜の食事が6時で、それから15時間の絶食で血糖値がかなり落ちていたのではないか。私血糖値が落ちるとものすごく体温下がるんです。
なんとか2時間、じっと我慢の寝たきり。小便もしたくなるけど、これまた尿瓶で、少し血は減っていた。2時間たってやっと終了。これでなんとか自由に動けるようにはなったものの、何か気分がよくない。トイレにいって初めての排尿。真っ赤である。しょうがないよねぇ。担当医も看護師も水をがぶがぶ飲めという。言われたとおりにがぶがぶ飲むからトイレに行くのが1時間おきくらいになっている。3回目くらいで何とか血の量が減ってきて、色が点滴と同じくらいになってきた。
とはいえ、体温上がらず。足の先がものすごく冷たい。といってなんともならないのだが。点滴が終わる少し前に息子が到着。腹がへって我慢できないからとパンを買いに行ってもらった。そのパンを点滴終了後にすぐにぱくついた。まるで子供だ。
それから先は、もう寝ているだけ。昼飯、晩飯と後はトイレに行くときだけおきだして。。。。
時間がたつにつれて血尿は減るものの、それでも血が混じらない時はほとんどない。人によっては出血しないこともあるのだとか。そんなこと言われるとただでさえ貧血気味の私にはあまり精神的にもよくないよなぁ。
夜は、9時消灯。そのまま素直に消すほどガキでもないのだけど、周りが暗くなって静かになると、なんだか眠くなってそのまま気を失ったように。とはいえ水をがぶ飲みしているのでトイレに行く回数が多いこと。周りには迷惑だったかもしれない。
翌朝(3日目)夜中の4時ころに目が覚めてから寝付けなくて、そのまま6時になって。。。だんだん周囲が動き始めたけど、寝不足気味でなかなか動く気にもなれずにいた。朝食は8時。しかしお腹が空きすぎているので、前日買ってもらったパンを1個食事の前に食べる。
8時になって朝食が来た。美味しかった。この2泊3日の間の食事で初めて汁ものが出た。この朝の検温は36度2分。平熱より少し高い。脈拍は56だったか、血圧は132だったと思う。まぁ正常に近いですが、まだ血尿です。夜中より少し増えたかも。
9時になってまた点滴。最初スピードが遅すぎて。。。。トイレに行って戻ったら点滴が止まった。と、そのときは。座ったら少し戻ったが、あまり遅いのでナースコールで看護師さんに来てもらって調節してもらう。早くなったおかげで血管が少々痛い。
この2時間の間、トイレに行く以外は寝ていたのだが、(寝てる方が点滴にはいいといわれたので)だんだん腰が痛くなり、最後はちょっと我慢の限界を超え始めた。寝返りを打つだけ。それでもなんとか我慢して、終了。
息子に荷物を片づけてもらって、帰り支度。忘れ物ないように注意して、病室を出る。廊下で看護師さんに出会い、リストバンド(名前やバーコードの印刷されたもの)を切ってもらって放免された。
今日(記述した日)は、それから丸1日と半分過ぎようとしているけど、血尿はあったりなかったり。水は相変わらずがぶ飲み。おかげで自宅でも夜中1時間ごとにトイレに。昼寝しても途中で夢破れてトイレに。
これがいつまで続くのか・・・・・ 多分、次の外来までかもなぁ。。
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異常が、生体検査(お尻から針を打ち込んで細胞摂取いて顕微鏡検査する)の手術の前後の様子です。
この入院の日木曜日で、検査が金曜日で息子は仕事を休んで広島から来てくれた。なんだか心強かった記憶がある。
現在はどんな検査をしているのかわからないが、政権で細胞接すの補法は変わらないかもしれない。
この次の記事は
癌宣告される当日の私のブログ記事です