2021年04月08日
末期前立腺癌・宣告から10年 その10年前の様子 その3
末期の前立腺癌宣告の日から10周年の日です
もう10年も経つと・・・
旋回は、宣告に至る前の生態検査の様子を書いていました。今回は選考当日の私の様子を書いています。
以下の引用分は、この記事を書いているときに記入したコメントです
先週2日に分けてのCTとRIの検査結果を聞きに行ってきた。予約j間を大幅に遅れて2時間以上待ちでの結果宣告。こういう検査結果を聞くのにこれだけ待たされるといい加減精神的に疲れるねぇ。。。
検査結果は、『癌は大きいものの他への転移は現状ないと思われる』という診断。CTや骨ンシンチの画像を見ながら説明を受けたが、骨シンチでは一か所疑問点があったけど、これは前月地下鉄でひっくり返った時に打ったものかもしれないということで結果保留、そしてCTスキャンの方は、癌の問題以上に私の母羽が患った難病の可能性があるという話が出てきた。
癌の本体のもう一段詳しい検査と前の骨の影の詳細検査のために今週と連休明けにMRIでの検査を行い結果を出す。
セカンドオピニオンを受けたいという申し出でもし、快く受け入れてもらったけど、まだどこで受けるかを決めていないので、これからさがします。
まずは、一安心という結果でした。
癌の治療については、セカンドオピニオンの結果を踏まえて、来月から始める予定です。
前立腺がんの宣告を受けて1月。この間に検査がいくつかあって、転移していないことはわかったものの、この先の治療方針に対してセカンドオピニオンをもらうと担当医師に申し出でした。どこにするか決まったら紹介状を書くという返事をもらった。
それで、今日は、私の友人である外科・胃腸科の医師に相談に行ってきた。久々に会う友人は、快く相談に乗ってくれ(実は、診察で申し込みをしてある)、これまでの経過を詳しく話し、現在検査を受けている病院の名前と病状から、現在の病院でいいだろう、セカンドオピニオンの必要はないとのアドバイスをくれた。
ということで、セカンドオピニオンは撤回することになった。他にもいろいろとアドバイスをしてもらい、たまたま精密検査で見つかった他の病気の可能性についてもたまたまその病院に専門医がいたので、友人の診察の後に心電図を取った上で、その病気についての専門医にいろいろとアドバイスをもらった。
持つべきはやっぱり信頼のおける友人としての医師だということを再認識した。
本来なら、癌の疑いを宣告されたときに相談すべきだったのだが、疑いの宣告を受けたときには頭の中には友人の医師のことは全く出てこないというパニック状態だった。昨日の転移していないという宣告で、多少の落ち着きをもったことで友人に相談しようということになったのだ。
今思えば、最初から相談できていれば、もっともっと安心して検査を受けることができたのではないかと反省をしている。
しかし、今日のアドバイス自体が、私にとってのセカンドオピニオンだったと言えるのではないかと思っている。
*****
これで、ガン宣告10周年の記念投稿は終わりです。
この後の経過については、
「末期・前立腺がん 奇跡の軌跡」と題して18年9月2日から60回に渡って連載しています。私のブログで「奇跡の軌跡」をキーワードに検索すると一蘭をご覧いただけます。
もう10年も経つと・・・
旋回は、宣告に至る前の生態検査の様子を書いていました。今回は選考当日の私の様子を書いています。
以下の引用分は、この記事を書いているときに記入したコメントです
前立腺癌検査の結果 (4月26日)
先週2日に分けてのCTとRIの検査結果を聞きに行ってきた。予約j間を大幅に遅れて2時間以上待ちでの結果宣告。こういう検査結果を聞くのにこれだけ待たされるといい加減精神的に疲れるねぇ。。。
検査結果は、『癌は大きいものの他への転移は現状ないと思われる』という診断。CTや骨ンシンチの画像を見ながら説明を受けたが、骨シンチでは一か所疑問点があったけど、これは前月地下鉄でひっくり返った時に打ったものかもしれないということで結果保留、そしてCTスキャンの方は、癌の問題以上に私の母羽が患った難病の可能性があるという話が出てきた。
癌の本体のもう一段詳しい検査と前の骨の影の詳細検査のために今週と連休明けにMRIでの検査を行い結果を出す。
セカンドオピニオンを受けたいという申し出でもし、快く受け入れてもらったけど、まだどこで受けるかを決めていないので、これからさがします。
まずは、一安心という結果でした。
癌の治療については、セカンドオピニオンの結果を踏まえて、来月から始める予定です。
随分淡々と書いてますね。丸で人ごとのような気がします。
この件の結果を聞いた後、帰り道で買物のしている最中に友人から電話があって、「どうだった?」と聞かれて「大したことない」というようなことを言ったのだろう、于友人kら「本当にがん患者かあ?」と言われてしまった。人ごと見たいですねぇ、私。
ここで、別の病気の可能性が言われているが、それは「サルコイドージス」という難病。母親がこの病で命を落としている。心臓がやられてペースペーカーを入れて半年て逝ってしまった。
前立腺癌・セカンドオピニオン(4月27日)
前立腺がんの宣告を受けて1月。この間に検査がいくつかあって、転移していないことはわかったものの、この先の治療方針に対してセカンドオピニオンをもらうと担当医師に申し出でした。どこにするか決まったら紹介状を書くという返事をもらった。
それで、今日は、私の友人である外科・胃腸科の医師に相談に行ってきた。久々に会う友人は、快く相談に乗ってくれ(実は、診察で申し込みをしてある)、これまでの経過を詳しく話し、現在検査を受けている病院の名前と病状から、現在の病院でいいだろう、セカンドオピニオンの必要はないとのアドバイスをくれた。
ということで、セカンドオピニオンは撤回することになった。他にもいろいろとアドバイスをしてもらい、たまたま精密検査で見つかった他の病気の可能性についてもたまたまその病院に専門医がいたので、友人の診察の後に心電図を取った上で、その病気についての専門医にいろいろとアドバイスをもらった。
持つべきはやっぱり信頼のおける友人としての医師だということを再認識した。
本来なら、癌の疑いを宣告されたときに相談すべきだったのだが、疑いの宣告を受けたときには頭の中には友人の医師のことは全く出てこないというパニック状態だった。昨日の転移していないという宣告で、多少の落ち着きをもったことで友人に相談しようということになったのだ。
今思えば、最初から相談できていれば、もっともっと安心して検査を受けることができたのではないかと反省をしている。
しかし、今日のアドバイス自体が、私にとってのセカンドオピニオンだったと言えるのではないかと思っている。
このセカンドオピニオンをもらったとき、友人の意思は検査データを見て「他に洗濯の余地はない」とはっきりと断言している
つまりは、放射線は照射できない状態、手術も新順シテ分離できる状態でない。残された治療法は”ホルモン療法”ということになったのだ。
ホルモン療法脳有効性は一般に5年と言われている。その5年の間に新しい治療法も出てきているだろうから、それらない期待して生活するようにと言われている。
それが、もう10年も治療法を変えることなく、しかもがん病巣が消滅していくという、奇跡的な患者らしいのだ。
何とも恵まれた人間なのかもしれない私だ。
がん宣告された翌週に、京都旅行を計画していた、計画したときはがんのことなんて知らず似たのだが、癌とわかって子供たちが一緒に行くと言い出して、図らずも私がガンで式が近く、最期の旅行になるかもなんて思ったのかもしれない。
図らずも、原家族(嫁さんと孫除いた) 五人の、私の激励旅行とあいなった。
まぁ そのご10年も元気で生活しているので、ガン患者の扱いはされなくなってしまっテイル。
*****
これで、ガン宣告10周年の記念投稿は終わりです。
この後の経過については、
「末期・前立腺がん 奇跡の軌跡」と題して18年9月2日から60回に渡って連載しています。私のブログで「奇跡の軌跡」をキーワードに検索すると一蘭をご覧いただけます。