2022年12月07日
人工内耳装着手術の過程 その3 術前検査 言語リハビリ
聴覚障害になって10年くらいになるかな、そのうち最後の4年で人の話が聞き取れなくなってしまった。これを前の大学病院でかなりキツく訴えのだが、頭の認知機能の問題でしょうがないと言われてなんの手当てもしてくれなかった。
それに業を煮やして、大学病院を転院する決意をして名古屋大学病院にきた。
私の難聴に関しては、10年くらい前に日赤の耳鼻科で聞こえの相談をしたところ、補聴器外来のあるクリニックを紹介してもらったのだが、ここの医師とも相性が悪かったのかもしれないが、補聴器を作ることになったが、最後は「手に負えないから」と名古屋大学病院に転院した。
そこでの診断で、内リンパ水腫という難病の診断をもらったが、内リンパ水腫に関しては治療法がないとのことで、何処かのクリニックで相談と言うことで、某クリニックに紹介状を書いてもらった。
そのクリニックへ行ったのだが、補聴器外来がないからと、某大学病院を紹介されて4年通ったが、最初は聞こえていた左耳が聞こえなくなると言う散々な結果になった。
そんな結果を引き連れて、名古屋大学病院に戻ってきた。そして、もう補聴器では聞き取れないからと言う診断で、人工内耳の装着手術を勧められ、この12月に装着手術をすることになった。
その人工内耳装着手術までの時間がだんだん迫ってきて、手術前の診断をいくつか受けることになった。
この記事のシリーズの「その1」では「循環器内科」の診察を受けて、心臓、循環器系には問題ないとの所見をもらい、そして「その2」では「口腔外科」でのチェックを受け、手術に向けての問題はないと言う所見ももらったということを書いている。
その口腔外科の診察の同じ日に、装着手術後の「言語リハビリテーション」のスケージュールの予約をとりに行った。
人工内耳というのは、装着して即聞こえるようになるのかというと、どうもそうではないらしい。まずは装着後に「音入れ」ということをしなければならない。そしての後で、言葉の聞き取りのリハビリテーションを行うのだ。
つまりは、人工内耳で受け取った情報を脳に伝えるのだが、その伝わった情報についての学習をすることになるのだ。この年79歳になって、言葉のお勉強をするのだである。
12月5日、耳鼻科での鼻血の緊急診察の後、コンビニでサンドイッチを買って、駐車場の車の中で済ませた。そして、リハビリの受付に行ったら先ずはドクターの簡単な健康診断を受けて、その後にちょっと離れたリハビリ室に向かった。
リハビリ室では、入るなり小部屋に案内されて、机を挟んで担当と向き合った。単に音入れの日、リハビリの開始日の予約をするだけかと思っていたのだが、なんといろいろ検査が始まった。
やった検査は、
認知症簿検査のごとくに、いくつかのゲームもどきのことをやり、テーマを出されて、それに関する単語を羅列いたり。そして聞き取り検査も行った。(言葉が出てこない、日頃話さないから単語を忘れたのかと思うくらいに出てこないのだ)
担当者は、口を隠して言葉を発する、その言葉を私が復唱するのだ。が、かなりひどい確率で聞き取れなくて、聞き間違いをしている。これはすでにわかっていることだが、これが人工内耳装着後にどのように変わるのかの、基礎資料になるらしい。
質問状にも書込みをした。まるで「うつ検査」のような質問が並んでいた。耳鳴りに関するもので、過去にもやったことがあるが質問の形態が違っている。耳鳴りの影響で鬱になることが結構あるらしいのだ。私は、耳鳴りはひどいものがあるもののもう40年もなり続いているので慣れっこで、気になることはない。
(過去に補聴器外来のクリニックでやった問診では、「極度のうつ病」だと診断されたが、私は怒りましたね。質問がそうなるように書かれていたのだから。こんなクリニック信用できないですよぉ)
さて、リハビリ前段階の調査も終わって、手術後の「音入れ」をいつにするかということになった。もう年末も押し迫っているし、どうしようかとちょっと迷ったが、担当から「正月に向けて音入れを年末にしておきましょう」と。ということで、手術後の「音入れ」は12月26日と相方の同意もえて決まった。
この音入れで、うまくいけば、正月は、家族の賑やかな話し声が聞けるかもしれないなぁという淡い期待を持ったのだ。
このリハビリのチェックが、手術前の最後のチェックとなった。
入院は来週の木曜日、手術はその翌日。退院は3日後の予定になっている。入院中に、記事がかければいいけど、手術日はかけるかなぁ?かけたら書きます。入院日はなんとか書けると思いますが。
入院日まで後8日。できたら、今回書いた冒頭の経緯の詳しいことが書ければと思っていますが。。。。 期待はしないでください
それに業を煮やして、大学病院を転院する決意をして名古屋大学病院にきた。
私の難聴に関しては、10年くらい前に日赤の耳鼻科で聞こえの相談をしたところ、補聴器外来のあるクリニックを紹介してもらったのだが、ここの医師とも相性が悪かったのかもしれないが、補聴器を作ることになったが、最後は「手に負えないから」と名古屋大学病院に転院した。
そこでの診断で、内リンパ水腫という難病の診断をもらったが、内リンパ水腫に関しては治療法がないとのことで、何処かのクリニックで相談と言うことで、某クリニックに紹介状を書いてもらった。
そのクリニックへ行ったのだが、補聴器外来がないからと、某大学病院を紹介されて4年通ったが、最初は聞こえていた左耳が聞こえなくなると言う散々な結果になった。
そんな結果を引き連れて、名古屋大学病院に戻ってきた。そして、もう補聴器では聞き取れないからと言う診断で、人工内耳の装着手術を勧められ、この12月に装着手術をすることになった。
その人工内耳装着手術までの時間がだんだん迫ってきて、手術前の診断をいくつか受けることになった。
この記事のシリーズの「その1」では「循環器内科」の診察を受けて、心臓、循環器系には問題ないとの所見をもらい、そして「その2」では「口腔外科」でのチェックを受け、手術に向けての問題はないと言う所見ももらったということを書いている。
その口腔外科の診察の同じ日に、装着手術後の「言語リハビリテーション」のスケージュールの予約をとりに行った。
人工内耳というのは、装着して即聞こえるようになるのかというと、どうもそうではないらしい。まずは装着後に「音入れ」ということをしなければならない。そしての後で、言葉の聞き取りのリハビリテーションを行うのだ。
つまりは、人工内耳で受け取った情報を脳に伝えるのだが、その伝わった情報についての学習をすることになるのだ。この年79歳になって、言葉のお勉強をするのだである。
12月5日、耳鼻科での鼻血の緊急診察の後、コンビニでサンドイッチを買って、駐車場の車の中で済ませた。そして、リハビリの受付に行ったら先ずはドクターの簡単な健康診断を受けて、その後にちょっと離れたリハビリ室に向かった。
リハビリ室では、入るなり小部屋に案内されて、机を挟んで担当と向き合った。単に音入れの日、リハビリの開始日の予約をするだけかと思っていたのだが、なんといろいろ検査が始まった。
やった検査は、
認知症簿検査のごとくに、いくつかのゲームもどきのことをやり、テーマを出されて、それに関する単語を羅列いたり。そして聞き取り検査も行った。(言葉が出てこない、日頃話さないから単語を忘れたのかと思うくらいに出てこないのだ)
担当者は、口を隠して言葉を発する、その言葉を私が復唱するのだ。が、かなりひどい確率で聞き取れなくて、聞き間違いをしている。これはすでにわかっていることだが、これが人工内耳装着後にどのように変わるのかの、基礎資料になるらしい。
質問状にも書込みをした。まるで「うつ検査」のような質問が並んでいた。耳鳴りに関するもので、過去にもやったことがあるが質問の形態が違っている。耳鳴りの影響で鬱になることが結構あるらしいのだ。私は、耳鳴りはひどいものがあるもののもう40年もなり続いているので慣れっこで、気になることはない。
(過去に補聴器外来のクリニックでやった問診では、「極度のうつ病」だと診断されたが、私は怒りましたね。質問がそうなるように書かれていたのだから。こんなクリニック信用できないですよぉ)
さて、リハビリ前段階の調査も終わって、手術後の「音入れ」をいつにするかということになった。もう年末も押し迫っているし、どうしようかとちょっと迷ったが、担当から「正月に向けて音入れを年末にしておきましょう」と。ということで、手術後の「音入れ」は12月26日と相方の同意もえて決まった。
この音入れで、うまくいけば、正月は、家族の賑やかな話し声が聞けるかもしれないなぁという淡い期待を持ったのだ。
このリハビリのチェックが、手術前の最後のチェックとなった。
入院は来週の木曜日、手術はその翌日。退院は3日後の予定になっている。入院中に、記事がかければいいけど、手術日はかけるかなぁ?かけたら書きます。入院日はなんとか書けると思いますが。
入院日まで後8日。できたら、今回書いた冒頭の経緯の詳しいことが書ければと思っていますが。。。。 期待はしないでください
タグに「APD」「聴覚情報処理障害」を付けてますが、これは音は聞こえるけれど、人の声、話し声を言葉として認識できないことを言います。それは、あくまでも聴覚のレベルが正常値にあると言う前提とのことです。 私の場合は、似てはいますが、聴覚レベル自体がすでに低レベルになっているので、正式には「聴覚情報処理障害」とは言わないのだと、現在の担当医から言われています。 |