2023年05月05日
人工内耳装着手術体験記 その3 入院2日目 手術日 2 病室で
そしてベッドに寝かされた状態で手術前に歩いてきた廊下をぐるぐる回って病室に帰りついた。この時点で家族の顔の確認はできていなかった。
病室に戻って、3時間は安静にしているようにと言われていた。動けったって、まだ身体緩んででしまっているから動けないないけど、それでも指と頭はうごかせた。
家族の顔もわかった。ありがとうと声をかけ、息子は仕事を休みにして来てくれていたので、無事生還したことを確認して仕事に帰っていった。
実はこのあたり、完全に脳が目覚めていたとはいいづらく、細かいことは記憶に残っていないのだ、というよりも、いろんなことがオーバーラップしていて、時間系列で並べることができないのだ。
病室に帰ってきても、結構寝ていたようだ。相方も一旦息子と病室を出て行っていったようだ。どのくらい出ていたのかわからなかったが、私が眠ってしまっていたのだろう、目が覚めたら看護師が「ご家族はゼリーとプリン買いにいってるよ」っておしえてくれた。
それからまた寝たのだろう、気がついたら相方が補助椅子に座っていた。
相方はゼリーとプリンを買ってきてくれていたのだ。冷蔵庫に入れて、食べ終わったっ冷蔵庫いらないけど。。なんてことを看護師と話をしたりしていた。
このゼリーとプリンは、全身麻酔後に初めて摂取できる食べ物らしい。麻酔が開けても食べると誤嚥する可能性が高く、それを防ぐという小tもある様だ。
その相方も、私がほとんど寝ているので手持ち無沙汰たで、「大人しくするのよ」と言って帰っていった。
3時間の安静が過ぎた頃かな、手術跡の傷の出血を見にきた。安静とはいえ頭は自由に動いていたから、夢見つつ自然に動いていたのか、かなり出血して、シーツを汚していた。
この出血は、誰にでもあることのようで、傷口からじわじわと流れ出ているらしい。この後も3回ほど手術痕の処理をしてもらっている。
画像左から 手術後3時間後 術後直後と同じ状態
中央は 初めての取り替えで 看護師にとってもらった
右は 取り替え後にガーゼが新しくなった状態
手術後は何もすることができない。何しろ左手には点滴の針が刺さったままなので自由に歩くことができない。手術が終わって病室に戻ってしばらくしたら尿意を覚えたので訴えたら、尿瓶を持ってきて処理をしてもらった。
絶飲食のせいか尿意の感覚がいつもの倍位遠いと感じた。がそれでも出したくなり、次に訴えたら、歩いて行けと言われ、看護師随行でトイレに向かった。
この時術後初めて立ったのだが、ちょっと軽い目眩と、筋肉の弛緩がとれていないからかなり不安定だった。トイレは洋式を使うかと聞かれたが、大丈夫と男性用の立ち小便器を使った。
どのくらいの時間だったか、水を飲んでもいいと許可が出たので冷たい水を飲んだ、なんと美味かったことか。
しかし水を飲むときに違和感。味の問題ではなく、飲むために口を開けなければならないが、口を開けると手術痕に痛みがはしるのだ。想定外のこと、食べるときはもっとひどく、口を開くときも痛むが、それに噛むときにも痛みがあるのだ。でも我慢できる痛みではある。
それでも最初の頃合は、口が開けなくて、水もまともに飲めないから、看護師に頼んでストローを用意してもらったくらいだ。
手術後は、食事もできないので、時折パンを齧ったりしながら、寝てることが多かった。しかし、ブログで多くの人に心配かけているので、書けるようになったところで自撮りの私をめずらしくそのまま、と言っても酸素マスクして、寝巻き姿というとんでもないものをアップした。
この手術後は、麻酔が切れても結構眠気があって、なんだかずいぶんうとうとしたような気がする。テレビを見るわけでもなく、ただベッドに寝転がって、時折 iPad でゲームしていた。
何時ごろだろう、多分夜11時か12時頃だと思うけど、熟睡したようだ。が、3時頃に目が覚めてしまった。それからが寝られない、ゲームしたりもしたけどこの際とばかりに、記憶に残っているいる間にと、この体験記を書き始めた。
手術したその日に書いているのにもう記憶が飛んでいる。悲しい現実です。それに時間経過の混濁。何をいつしたのかまるで頭には、やったこと、見たこと、聞いたことが、時間系列に並ばないのだ。本当に情けない。
その1 入院と手術前検査
その2 入院2日目 手術日 その1手術
その3 入院2日目 手術日 その2 病室で
その3 その4 入院3日目 手術翌日
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これを書い当ている最中
14時22分に能登半島で震度6強の地震があった
我が家の柱時計止まってた
名古屋でも珍しく揺れたのです