2007年12月31日
京都の思い出 清水寺
清水は、何度行っているだろう。
小学校の修学旅行。中学か高校の遠足、大学2年のとき友人4人と学校サボってって東京から、大学の3年のとき大学の修学旅行、それから大阪kに修飾してから何度か、名古屋に引っ越してから何度か。つい最近では2度ほど。
そして、今回書いている大学1年のときの初めての京都一人旅。
このときは、竜安寺にいった後出来ているははずなのだが、どこをどう通っていったのか?竜安寺から、また電車に乗ったという記憶はうっすらとあるから、ひょっとしたらまた帷子ノ辻に戻って、大宮に出たのかもしれない。大宮に出れば阪急に乗ることで河原町に出る。あの冬至は、ひょっとして、阪急は大宮から河原町に延びたばかりの頃のようだ。冬至はバスに乗ったという記憶は全くない。
**いま、当時 撮ったフィルムのベタ焼きを見ているが、
**貧乏学生にはフィルム代がなかったとみえて、非常に枚数が少ない。
**竜安寺の手水鉢の後になんと知恩院を一枚取っている。
**その次に清水の舞台下の柱が写っている。
河原町から知恩院、清水までは、かなり歩かねばならないが、当時の体力であれば何の問題もなかったであろう。
とはいえ、嵐山から清水までの行程は、正月の太陽の出ている時間では、足りるはずもなく、清水ではもう暗くなって、露出不足の写真になっている。
清水で写真を撮った記憶の中に、五条通り(国道一号線)が夕日を反射して浮き出たものがある。今そのフィルムの行方がわからないので掲載できないが、数年前に言った際に同じ場所と思うところから撮影したのがトップの写真。しかし、時間帯と天気それに太陽に位置関係で五条通りの反射は取ることができなかった。トップの写真では五条通りの位置側からにと思います。下の写真(トップと同じ)の矢印が五条通りです。昔と比べるとビルが多くなりすぎて、景観はかなり違います。
この後 河原町まで戻っているのだが、寒いのと腹が空いたので、四条河原町のどこかの喫茶店で休んだことを覚えている。どっちにしても、今現在の河原町の雰囲気とは全く違っているので、いったいどこで休んだのかは全く持って不明だ。
これを書いているとき、最初写真は見ていなかったのだが、引っ張り出してきて眺めてみると、歩いた行程はなんとなく覚えているようだ。しかし、行った先の記憶が、その後に行った記憶で上書きされているか、消えてしまっている。年のせいなのかなぁ・・・
やはり、覚えている間に、書き残しておこうと思ったのは、正解だったかも知れない。しかし、今の旅行をしたときに各旅行記のように、リアルタイムの情景をかくことが出来ないのがつらい。