2008年01月05日
京都の思い出 新京極界隈2
ここ数年の間に、新京極界隈、というよりも東西は堀川通りと河原町通りの間、南北は二条通りから仏光寺通りまでの、この間の区域をあるいている。これは親鸞研究を始めてからのことで、親鸞ゆかりの所を探すための散歩である。
親鸞自体の史跡というものは、本来探すのは難しい。何しろ公文書に名前が出てこない人なので、史跡といわれても多くは眉唾のところが多いらしい。それでも、何がしかの物があるのではという思いで歩いたのだが・・・
数年間、この辺りを歩くための根城にしたのが友人の所有するマンションである。これが、堀川通りにあるので、ここから河原町までを歩いて往復していたのである。結構な距離で時にはこの歳にはきついこともあった。
これで気づいたのが、三条通りから南のそれぞれの東西のの道は、新京極でぶつかるところは寺もしくは天神さんである。
六角通り=誓願寺
蛸薬師通り=永福寺(蛸薬師)
錦通り=錦天満宮
**三条通りと御池通りの間にある東西の道、姉小路は寺町通りに突き当たり、寺町通りで少し南にずれて河原町に抜けている。
このほかにも寺が並んでいるのだが、ひょっとしたら昔はもっと大きな敷地の寺であって、でんと構えて入り口は寺町通りになったのかもしれない。それが新京極通りを作るために「敷地を削られたのだろうか」なんて、思いたくもなるこの界隈である。
新京極の、若者の店を見ていくだけではなく、それらの間に存在する寺を見ていくと、これまた違った新京極を味わうことが出来るのではないかと思っている。
ちょっと違った京都を見たい方にお勧めです。
**
新京極通りは市場通りで突き当たる、その突き当りの先には、春長寺という寺で、市場通りに抜ける少し北の通り西側には、ひっそりと「愛染院」がある。じっくりと左右を見ながら、歩いてみてください。
親鸞自体の史跡というものは、本来探すのは難しい。何しろ公文書に名前が出てこない人なので、史跡といわれても多くは眉唾のところが多いらしい。それでも、何がしかの物があるのではという思いで歩いたのだが・・・
数年間、この辺りを歩くための根城にしたのが友人の所有するマンションである。これが、堀川通りにあるので、ここから河原町までを歩いて往復していたのである。結構な距離で時にはこの歳にはきついこともあった。
これで気づいたのが、三条通りから南のそれぞれの東西のの道は、新京極でぶつかるところは寺もしくは天神さんである。
六角通り=誓願寺
蛸薬師通り=永福寺(蛸薬師)
錦通り=錦天満宮
**三条通りと御池通りの間にある東西の道、姉小路は寺町通りに突き当たり、寺町通りで少し南にずれて河原町に抜けている。
このほかにも寺が並んでいるのだが、ひょっとしたら昔はもっと大きな敷地の寺であって、でんと構えて入り口は寺町通りになったのかもしれない。それが新京極通りを作るために「敷地を削られたのだろうか」なんて、思いたくもなるこの界隈である。
新京極の、若者の店を見ていくだけではなく、それらの間に存在する寺を見ていくと、これまた違った新京極を味わうことが出来るのではないかと思っている。
ちょっと違った京都を見たい方にお勧めです。
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新京極通りは市場通りで突き当たる、その突き当りの先には、春長寺という寺で、市場通りに抜ける少し北の通り西側には、ひっそりと「愛染院」がある。じっくりと左右を見ながら、歩いてみてください。