2008年01月08日
京都の思い出 伏見 3 寺田屋
月桂冠の記念館をでて、カンカン照りの日陰の全くない道を北に上がっていく。
伏見は、城下町でありながら、きれいな碁盤の目とは言いがたい。縦横の道路整備はされているのだが、なんとなく、直線で歩いていくことが難しい。あっちこっちで突き当たるような印象だ。本当はそうではないのかもしれないが、南の方は突き当りが多いなぁ。こうしたつくりの城下かもあるので、そのタイプなのかもしれない。
目的地は、「寺田屋」
明治維新の旧跡なわけだ。どっちかといえば、そうしたものへの興味はあまり持たない私である。京都での維新の旧跡は、「島原の角屋」「壬生寺」「金戒光明寺」「池田屋」などをこれまでに見てきているが、望んで見に行ったわけではない。たまたま、いろいろ行ったついでにということだ。
角屋は大学の研修旅行の際に、壬生寺は若い人にせがまれて、金戒光明寺は親鸞研究の一環と紅葉を見に行った際に、池田屋は三条通りを歩けばいやでも見つけるのではないかな?
伏見の町を歩いて、寺田屋の前にきた。あぁ。ここも入るのに待たされることになった。実際伏見の町を歩いて、もう少し時間がかかるだろうという思いが、もろくも裏切られすぐについてしまうのだ。待つ間にほかを見てくればいいものを・・・
寺田屋の近くには、件の運河もあるので、そっちを見に行ったりしてはいるものの、時間が余る。同じように時間をつぶしていると思われる若い女性もおいでになる。
中に入りました。小さいところですね。刀のあともあったり。歴史上のもので、伏見に来たら見るものというだけのことで、やはり、私にはこうしたものはあまり興味がない。しかし、好きな人は、わくわくしてみているようです。
伏見は、城下町でありながら、きれいな碁盤の目とは言いがたい。縦横の道路整備はされているのだが、なんとなく、直線で歩いていくことが難しい。あっちこっちで突き当たるような印象だ。本当はそうではないのかもしれないが、南の方は突き当りが多いなぁ。こうしたつくりの城下かもあるので、そのタイプなのかもしれない。
目的地は、「寺田屋」
明治維新の旧跡なわけだ。どっちかといえば、そうしたものへの興味はあまり持たない私である。京都での維新の旧跡は、「島原の角屋」「壬生寺」「金戒光明寺」「池田屋」などをこれまでに見てきているが、望んで見に行ったわけではない。たまたま、いろいろ行ったついでにということだ。
角屋は大学の研修旅行の際に、壬生寺は若い人にせがまれて、金戒光明寺は親鸞研究の一環と紅葉を見に行った際に、池田屋は三条通りを歩けばいやでも見つけるのではないかな?
伏見の町を歩いて、寺田屋の前にきた。あぁ。ここも入るのに待たされることになった。実際伏見の町を歩いて、もう少し時間がかかるだろうという思いが、もろくも裏切られすぐについてしまうのだ。待つ間にほかを見てくればいいものを・・・
寺田屋の近くには、件の運河もあるので、そっちを見に行ったりしてはいるものの、時間が余る。同じように時間をつぶしていると思われる若い女性もおいでになる。
中に入りました。小さいところですね。刀のあともあったり。歴史上のもので、伏見に来たら見るものというだけのことで、やはり、私にはこうしたものはあまり興味がない。しかし、好きな人は、わくわくしてみているようです。