2008年01月12日
京都の思い出 蟹満寺(かにまんじ)
蟹満寺という寺をどのくらいの方がご存知なのだろうかと思います。
私がここを訪れたのは、自分の意思ではなく、大学の研修旅行でコースぬ含まれていたからということです。もう40年も前の話なので現在とは環境は全く変わっていると思います。
京都と奈良を結ぶ通称奈良街道は現在は広い道ですが、当時はそんなに広くはなかったとお思いますし、位置も現在よりも東、JRの線路に近かったのではないかと思います。
この近辺は、最近では京阪奈の学園都市に近いところでもあるのですが、それとはまぁ関係ないでしょう。
訪れたときの思いとしては、真夏の暑い日ざしのきつい日でした。(7月の半ば過ぎ)今頭に出てくるのは、がらんとした集権の中にある小さな寺で、なんとなく白っぽい塀があったということだけですが、本堂の中に収められた仏像は、間か黒尚姿できりっと結んだ口で毅然とした釈迦如来です。
京都に残るには、浄土教時代のもの、真言宗のものと平安時代のものが多いのですが、これは白鳳時代の割くといわれているようです。
一度しかいったことのない蟹満寺ですが、この仏像の横顔は今でもはっきりと覚えていると思います。(写真を見せられて当てられるかというと自信はありません)
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この寺は、山村美沙のミス定理小説「鳥獣の寺」 の舞台にもなっています。
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この寺の位置は、国道163号線を西に行き国道24号線との交差点を右折して4~5キロ北に行ったJR奈良線の東側です。
参考HP:http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_kanimanji
私がここを訪れたのは、自分の意思ではなく、大学の研修旅行でコースぬ含まれていたからということです。もう40年も前の話なので現在とは環境は全く変わっていると思います。
京都と奈良を結ぶ通称奈良街道は現在は広い道ですが、当時はそんなに広くはなかったとお思いますし、位置も現在よりも東、JRの線路に近かったのではないかと思います。
この近辺は、最近では京阪奈の学園都市に近いところでもあるのですが、それとはまぁ関係ないでしょう。
訪れたときの思いとしては、真夏の暑い日ざしのきつい日でした。(7月の半ば過ぎ)今頭に出てくるのは、がらんとした集権の中にある小さな寺で、なんとなく白っぽい塀があったということだけですが、本堂の中に収められた仏像は、間か黒尚姿できりっと結んだ口で毅然とした釈迦如来です。
京都に残るには、浄土教時代のもの、真言宗のものと平安時代のものが多いのですが、これは白鳳時代の割くといわれているようです。
一度しかいったことのない蟹満寺ですが、この仏像の横顔は今でもはっきりと覚えていると思います。(写真を見せられて当てられるかというと自信はありません)
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この寺は、山村美沙のミス定理小説「鳥獣の寺」 の舞台にもなっています。
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この寺の位置は、国道163号線を西に行き国道24号線との交差点を右折して4~5キロ北に行ったJR奈良線の東側です。
参考HP:http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_kanimanji