2008年10月23日
木曜日
ここ一月の間の木曜日は、雨ということが少なかったと記憶。昨夜の雨が、今朝も残るかと思っていたが、目が覚めた時は雨は上がっていた。
今、正午を数分過ぎたところ。だんだん空が重くなってきている。また雨模様に向かっている。
大学絡み見る南の景色は、湿気が多かったのか、トリトンがはっきりとは見えなかった。海も。
大学の授業は、本格的に理論の話。
私自身がこれまで実社会でこなしてきた仕事を理論的にどう処理するのかという疑問をといてくれるはず。そうおもっているのだが、確かに処理する方法論がいろいろ出てくる。時代の流れの中で、コンピュータの進歩に伴って、それらに付随して考え方が換わるということはわかる。
しかし、なぜこうする必要があるのかという逆の疑問がだんだん大きくなる。あえて面倒な表現をする必要があるのか?そんな思いが出始めている。
学問としての表現は理解できるとしても、実社会ではそれを顧客、ユーザーに説明する義務がある。その際に、相手が理解に苦しむような表現を求められているような気がしてならないのだ。現実には、説明者と被説明者の両方が理解できるシステムをとるのがいいのだが、なまじ学問をしての知識を持つと、それを振りかざして、相手に押し付けかねないということもある。
何か、今まで自分でして来たことの反省も含めて、考え直さねばと思い始めている。
今、正午を数分過ぎたところ。だんだん空が重くなってきている。また雨模様に向かっている。
大学絡み見る南の景色は、湿気が多かったのか、トリトンがはっきりとは見えなかった。海も。
大学の授業は、本格的に理論の話。
私自身がこれまで実社会でこなしてきた仕事を理論的にどう処理するのかという疑問をといてくれるはず。そうおもっているのだが、確かに処理する方法論がいろいろ出てくる。時代の流れの中で、コンピュータの進歩に伴って、それらに付随して考え方が換わるということはわかる。
しかし、なぜこうする必要があるのかという逆の疑問がだんだん大きくなる。あえて面倒な表現をする必要があるのか?そんな思いが出始めている。
学問としての表現は理解できるとしても、実社会ではそれを顧客、ユーザーに説明する義務がある。その際に、相手が理解に苦しむような表現を求められているような気がしてならないのだ。現実には、説明者と被説明者の両方が理解できるシステムをとるのがいいのだが、なまじ学問をしての知識を持つと、それを振りかざして、相手に押し付けかねないということもある。
何か、今まで自分でして来たことの反省も含めて、考え直さねばと思い始めている。